二十世紀までの常識だったら、これだけの材料を並べ立てた形で贈賄疑惑を報じられたら、大臣の首は、3日もつながっていなかったはずだ。その先には議員辞職が待っている。つまり、甘利経済再生相の事件は、それほどの大事件だということだ。

 ところが甘利大臣は、疑惑発覚からほぼ一週間、自身の進退についてはっきりと述べなかった。
 信じられない対応だと思う。
 少なくとも昭和の常識からは到底考えられない厚顔さだ。

 さらに驚くべきなのは、安倍晋三首相が、27日午前の参議院代表質問で、甘利経済再生相について

「速やかに必要な調査を行い、自ら説明責任を果たしたうえで、経済再生、TPP(環太平洋経済連携協定)をはじめとする重要な職務に引き続き邁進してもらいたい」

 と答弁していることだ(こちら)。

 つまり、安倍首相は、これだけはっきりした証拠が挙がっている報道を受けてもなお、司直による裁きが下るまでは、甘利大臣の職責を防衛するつもりでいたのだ。

 開いた口がふさがらない。
 この甘利大臣への異様に甘い処遇は、第2次安倍内閣において、松島みどり法務大臣がうちわ配布問題の責任を取って辞任し、小渕優子経済産業大臣が、後援会員の観劇費用が政治資金収支報告書に未記載であった問題を受けて辞任した件との比較からしても、著しくバランスを欠いている。

 それだけ、甘利経済再生相が安倍政権にとって欠くことのできない重要な閣僚だということなのかもしれないが、重要閣僚であればこそ、それだけ責任が大きいという見方もできるはずで、ともあれ、今回の対応は、国民を舐めていると見られても仕方がない。

 一時は、首相ならびに甘利大臣が、このまま正面突破で何事もなかったかのように続投し続けるのかと思わされたほどだ。

 どっちにしても、ことここに至るまで大臣の職に拘泥していた姿は、とんでもない態度だと申し上げねばならない。

 この「とんでもなさ」は、実は、政権側だけの問題ではない。

 私自身は、どちらかといえば、「とんでもない」のは、メディアとその受け手であるわたくしども一般国民の側なのかもしれない、と思い始めている。

 どういうことなのかというと、われわれが、この種の疑惑に食傷しているということが、問題の根本なのであって、甘利さんと安倍さんの異様な強気は、そこのところを見透かした上で「これなら行けるんじゃないか」と考えた末であったのかもしれない、ということだ。

 私たちは、政治家の素行に対して鈍感になっている。

 甘利大臣やその周辺の人々が、疑惑を告発した人物について漏らしていた「その筋の人らしいね」(菅義偉官房長官)「罠を仕掛けられた感がある」(高村正彦自民党副総裁)「先方は最初から隠し録音をし、写真を撮ることを目的とした人たち」(甘利大臣)といった言葉が、いずれも論点をはぐらかす物言いでしかないことは、おそらく、普通の新聞読者にははっきりとわかっていることだ。

 が、それでもなお、多くの人々は、この種の疑惑の出現にうんざりしている。で、このことが、報道への冷淡さを生んでいるのだと思う。