「永田町の論理」
「五十五年体制」
「護送船団方式」
「民間では考えられない」
「対案を出せ」
「既得権益層」
「抵抗勢力」
「決められない政治」
「ねじれ解消」
「責任政党」
「ブーメラン」
「ダブスタ」
「工作員」
「ポジショントーク」

 といったこれらの用語も、おそらく、使われはじめた当初は、それぞれに独自の意味を備えていたはずだ。

 それが、対敵破壊工作用語としての衝撃力を評価され、考え無しに繰り出される「レッテル」として多用されるようになると、最終的には、思考停止を促すマジックワードとして流通することになる。

 ついでに言えば「レッテル」という言葉自体、最も典型的な「レッテル」だし、「思考停止」というワードそのものも、見事な「思考停止ワード」になっている。ことほどさように、政治の言葉は、繰り返し連呼するうちに鈍器に似たものに変化する。というよりも、言葉を相手を殴るための鈍器として使用するタイプのコミュニケーション作法を、われわれが政治と呼んでいるということに過ぎないのかもしれないわけだが、これはまた別の話になるので、ここでは深く追及しない。

 さて、今回の甘利明経済再生担当相のケースは、「政治とカネ」というタグでまとめられるエピソードの中で、近来では最もたちの悪い事件だ。

 単なる政治資金疑惑ではない。
 帳簿上の記載ミスだとか、税務当局との解釈の違いだとか、パーティー券の計算間違いだとか、そういう話ではない。

 「週刊文春」の記事を読む限りでは、あからさまな贈収賄疑獄であり、目に余る悪辣なタカリ行為だ。
 金額も大きい。証拠もはっきりしている。

 謝礼金以外に使わせた接待の額も少なくない。犯情も劣悪だ。どこからどう見ても平成に入ってからの政治家の資金スキャンダルでは、最も悪質な重大案件だと思う。

 逃げ道はほぼ塞がれていた。
 告発した業者は、実名を明かして、自らが贈賄側として罪に問われるリスクをあえて犯しながら、疑惑の告発に踏み切っている。つまり、それだけの覚悟を持っているということだ。

 物証も揃っていた。
 記事に書いてある通りだとすると、告発側は、手渡した現金についての一枚一枚の写真と、現金供与の現場の録音を持っている。さらに、これらとは別に「週刊文春」の取材陣は、現金授受の瞬間をカメラにおさめている。

 見る限り、最初から到底逃げきれるとは思えなかった。