彼らが「食文化」を盾に絶滅危惧種の保護や水産資源の枯渇の問題から目をそらそうとする態度は、一部の相撲ファンが「国技」という言葉のカゲに隠れて民族差別的な野次を容認していたり、「伝統文化」だとか「神事」みたいな言葉を強調することで、不公正なレギュレーションや規定を正当化している状況と驚くほど良く似ている。

 ついでに申せばウナギについて繰り返される「養殖」という言葉も、絶滅危惧種を容赦なく乱獲していることのうしろめたさをごまかすためのマジックワードであるように思えてならない。

 というのも、ご存じの通りウナギの養殖は、卵を孵化させること(あるいは産卵を管理すること)からはじまる完全養殖ではないからだ。

 ウナギの養殖は天然の稚魚を「育成」して成魚にすることで成り立っている。ということは、ウナギ養殖という産業の基礎的な部分は、天然資源である野生の稚魚を捕獲するシラスウナギ漁に依存しているわけで、その意味で、環境への負荷は普通の漁業とそんなに変わらない。

 こういうお話をする時には、一方でウナギを糧に生計を立てている人たちがいることを軽視してはいけないのだろう。

 ただ、海から与えられる恵みは無限ではない。
 漁業という業態の少なくともその一部分が、自然からの収奪の上に成り立っていることを考えれば、自然が枯渇するほどの苛烈さで収奪を繰り返すことは、自然の恵みを糧に暮らしを立てている人々にとって、自分自身のクビを締めることにほかならない。

 現在の状況は、農業で言えば種籾を食べてしまっている段階だと思う。
 タコの人生になぞらえるなら、自分の足を食べて空腹を癒やしているタコ末期の段階に当たる。

 この困難な事態を一発で打開できる解決策を提示できれば良いのだが、私のアタマでは無理だ。残念だが、どうしようもない。

 とりあえず、個人としてできることとして、せめてウナギ断ちをしようと思っている。
 偽善だと思う人は、そう思っていただいてかまわない。

 ウナギの苦境はもはや通り一遍の善だけでは救えない。偽善を含めたあらゆる善を動員しないとどうにもならない。あ、追善も。

(文・イラスト/小田嶋 隆)
ウナギ……おいしいですよね。食べられなくなるんですか。
でも、うなダレごはん、あれもおいしいです。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。