もっとも、21世紀に入ってからの急激な生息数の減少に関しては、1990年以降、ウナギ専門店とは別に、一般のスーパーや弁当販売店が、500円前後の低価格でウナギ製品を大量販売したことの影響が大きかったのだろうとは思っている。

 ただ、そうした議論とは別に、ウナギをめぐる議論をめんどうくさいものにしているのは、ウナギに関わる人間たちの誰もが、ウナギの災難を他人のせいにしつつ、ヌルヌルと手の中から逃げる生き物みたいに責任回避をしていることだ。

 この状況は、「囚人のジレンマ」と呼ばれるお話に似ている。
 囚人のジレンマについては、ここで解説すると長くなるので、興味のある人はウィキペディアでも参照してください。……。はい。読みましたね。そういう話です。

 とにかく、

  • 漁獲規制をすると、密猟者だけが儲かる。
  • 国内で漁獲規制をしても、漁獲規制をしていない他国が乱獲するだけ。
  • 仮に販売規制をしたのだとしても、どうせ売り抜けをする業者が儲ける。
  • 禁鰻法を施行したら、おそらく闇ルートを通じて流通する裏蒲焼きが暴力団の資金源になる。

 みたいなダブルバインドが、事態を困難にしているわけで、結局のところ、禁酒法と同じことで、これだけ一般に普及してしまっているものにうっかり法規制をかけると、正直者が損をして抜け駆けをする人間ばかりが不当な利益を得る結末になりがちだということだ。

 それもこれも、つまるところ、ウナギを食べたい人たちの言い訳なのだと私は考えている。

 本気で資源を守る気になれば(つまり、ウナギサイクルの最下流にいるわれわれがウナギを食べることをあきらめることさえできれば)、ウナギの漁獲は減らせるし、養殖だって減らせるはずなのだ。

 こういう話をすると、たぶん「食文化」だとか、「日本食の伝統」みたいな言葉で、ウナギの大切さを力説する人たちがあらわれる。

 その種の主張への反論は、本当は「大切だからこそ食べない」という一言で十分なのだが、ペンの勢いということもあるので、せっかくだから「食文化」というお話に異論を述べておく。

 私の記憶では、この種の立論が目立つようになったのは、あるグルメ漫画の主人公が捕鯨の正当性を主張する中で、クジラをめぐる食文化の伝統についてひと通りのウンチクを並べてみせたのが最初の例だと思うのだが、昨今では、ウナギでもマグロでもおよそ食材の確保と環境保護が対立する局面で議論が巻き起こると、必ずや「食文化」というマジックワードを持ち出して、論点をそらしにかかる人間が現れることが論争上の定番の展開になっている。