《漁が解禁された昨年12月10日からの15日間の漁獲量はわずか0.5キロ。43.4キロの漁獲があった前期の1%ほどにとどまった。》

 というこのデータは、2割減とか3割減といった普通の文脈で言う「減少」ではない。半減ですらない。前年比約99%減という壊滅的な数字だ。ということはつまり、彼らが直面しているこの数字は「漁獲高減少」とか「不漁」という言葉すら生ぬるい「絶滅」をさえ示唆するデータなのであって、シラスウナギの漁獲に比較的大きな年変動があることを考慮したのだとしてもなお、深刻なデータであることは明白なのだ。

 とすれば、この数字を眼前に突きつけられた水産庁の人間は、当然、ひとつの魚種の絶滅の予感に粛然として然るべきなのであって、少なくとも「今後の推移を見ないと何とも言えない」などという、芋が煮えるのを待つ若奥様みたいな優雅なコメントを吐き出しているお日柄ではないはずなのだ。

 宮崎県の水産課のコメントもくねくねしている。

《県水産政策課によると、県内で漁が始まった昨年12月11日から1月14日までの35日間の漁獲量は4キロで、前年度同期(176キロ)の2%程度にとどまっている。
 一方で2015年度のこの時期は80キロ、14年度は232キロと年によって幅があり、同課は「2、3月に漁獲が増える年もあり、今後のことはわからない。期待するしかない」と話している。》

 「期待するしかない」

 ではない。もはや期待をしてはいけない状況であると思うのだが。
 前年比98%減の漁獲量に直面してなお、「今後に期待」している水産課職員は、おそらく、完全にウナギが絶滅するまでウナギの漁獲に期待し続ける設定の人間なのであろうなと考えざるを得ない。

 本来なら、ずっと以前の段階で、徹底的な禁漁なり漁獲制限なりを実施していなければいけなかったはずだとかなんとか、繰り言を言っても仕方がないので、現状の話に戻るのだとして、それにしても、ことここに至ってなお、「今後に期待する」みたいな間抜けなセリフを吐き出されてしまうと、激越にならない上品な範囲の論評の言葉を思い浮かべることが大変に困難になる。

 ネットニュースのコメントを眺めていると、漁獲制限や禁漁を提案する意見に対して
 「禁漁はなりふりかまわず乱獲する中国の漁民を利するだけだ」
 「日本が単独で漁獲制限をしたところで、海はつながっているわけなんだから、結局のところ周辺諸国の乱獲を促すことにしかならない」
 「ウナギで暮らしている人の生活も考えろ」
 といったおなじみの主張が書き込まれていたりする。

 うんざりする展開だ。
 こういうところに日中対立を持ち込んでどうしようというのだろうか。

 海に国境壁がないのはおっしゃる通りだし、一国だけの漁獲制限の効果に限界があるのもご説の通りだ。

 とはいえ、漁業資源の減少を中国をはじめとするアジア諸国の漁獲高の増大に求める昨今流行のものの言い方が、大筋において無責任な立論であることは指摘しておかなければならない。