ただ、「世間」や「ファン」という名前で仮託されている、不特定多数の見物人の好奇心や義憤にこたえる形で、多少とも騒動を沈静化させるためには、そういう言い回しで謝罪の意思を見せておくほかに方法がないというだけの話だ。

 実際、騒いでいるのは、「ファン」ではない。彼らの不倫を責め立てて騒いでいるのは、どちらかといえば、「アンチ」だ。
 ファンの多くは、静かに心を痛めている。

 怒ったり、いきり立ったり、眉をひそめたり、金切り声を上げたり、非難の書き込みをマルチポストしていたりするのは、はじめから、ファンでもなんでもない、この騒動を心から楽しんでいる野次馬だ。とすれば、ネット上で謝罪を要求している彼らに謝るのは、どこからどう考えても、間違っている。

 報道陣にも謝ってはいけない。
 週刊誌は、このネタを暴露して煽ることで、部数を稼ぎ、注目を集め、カネを稼いでいる。
 とすれば、スジとしては、件の二人に対して、週刊誌の記者ならびに編集部は、むしろ、感謝をせねばならない。

 ……という、ここまでの話は、一応の正論ではあるが、屁理屈でもある。
 というよりも、当事者でない人間が、当事者の口を借りて言う理屈は、結局のところ、屁理屈なのだ。

 不倫の被害者たる妻の傍らに立って、妻の立場からの正論を述べ立てれば、正しい告発に見える記事を書くことはそんなに難しい作業ではない。
 が、その正論がいかにまっとうな告発の形を整えているのだとしても、一対一の私信であるLINEのやりとりを当人に断りなく暴露することを正当化する理屈は、どこを探しても見つからないはずだ。

 それ以上に、不倫を告発する権利を、当事者から賦与されているのだとしても、不倫暴露記事を一般読者向けの記事として公開して商売に利用することを正義の言論として認める理屈は、この世界のどこにも存在しない。

 つまり、この事件において、もっとも「ゲス」だったのは、記事のために私信を暴露する犯罪まがいの取材を敢行した雜誌とそれを許した編集部だということだ。私信のデータを提供した人物にも一定の責任はあるだろうし、もちろん、それ以前に不倫関係に陥った二人にも相応の罪はあるはずだ。が、ゲスの極みは記事そのものにある。このことは、はっきりさせておかねばならない。

 私が今回の騒ぎにうんざりしているのは、他人のプライバシーを暴露するスキャンダル報道をいかにも正義の告発であるかにように見せかけている記事の文体もさることながら、この事件をネタに騒いでいる人たちが、不倫を憎んでいるというよりは、リンチを楽しんでいるようにしか見えないからだ。
 インターネットに集う人たちは、「偽善」をひどく嫌う。

 これは、ネットメディアが建前や理想論を語りがちなマスメディアへのカウンターとして出発したからでもあるのだろうし、そのこととは別に、われわれの暮らすネットの外側にある実社会が、「建前」と「偽善」に彩られた欺瞞の世界であることの反映でもあるのだろう。その意味では、ネット民の偽善嫌いは、健康な反発と言って言えないことはない。