旅館業法や道路運送車両法は、「一般人」を捕縛する目的で制定された法律ではない。公務執行妨害にしても、普通は歩いているだけの人間にいきなり警察官がぶつかって来て転ぶようなやりかたで適用される法律ではない。

 というよりも、言葉のアヤみたいな話になるが、どんな法律であれ、それは本来「法を犯す者」を裁くために書かれたものであるはずで、その意味では、法律は、法の枠内で暮らす善良な一般市民とは無縁なものだ。

 もう一度繰り返すが、旅館業法や道路運送車両法は、一般市民を捕縛するために制定された法律ではない。

 にもかかわらず、現実の犯罪捜査の現場では、旅館業法違反や道路運送車両法違反を拡大解釈して市民を捕縛するようなことが起こっている。また、われら「一般市民」の多くも、オウム事件が世間を騒がせていた当時には、道路交通法や有印私文書偽造などの不可思議な罪名でオウム真理教の信者を大量に検挙する警察官の態度を、大いに支持していた。

 つまり、現場で法執行に当たる人間は、敵(捜査員から見た「犯罪者」のことだが)を捕らえる目的のためには、どんな手段でも使おうとするものなのであって、だからこそ、法律の条文は、なるべくなら野放図な拡大解釈を許さないものであることが期待されている。

 もっとも、仮に、警察官が多少強引なやり方で市民の身柄をおさえて拘束するようなことが起こったのだとしても、法の番人である裁判所が正しく基本的人権を守る立場で審理を行い、判決を出すことが間違いなく保障されているのであれば、そんなに大きな心配をすることはない。

 万が一、末端の捜査官の勇み足の結果、罪を犯していない人間が逮捕されるようなことがあったのだとしても、裁判が正しく行われ、裁判官が正しい判断を下すのであれば、正しい行いをしている市民が不当な罪を着せられることはあり得ないからだ。

 とはいえ、わが国の司法制度とそれを支える裁判官の全員を完全に信用できるのかどうかというと、実のところ、私は確信を持てない。

 裁判所は、時に冤罪をつくっている。
 このことは、誰もが知っていることだ。

 名張毒ぶどう酒事件の裁判をめぐる一連の出来事や、袴田事件、免田事件に関する詳細を知れば知るほど、自分が無実である限り、できれば裁判の被告として裁かれるような事態は、全力で忌避したいものだと考えざるを得ない。

 思うに、裁判官の中には、一般人の中で広く共有されている常識よりは、身内のメンツや法曹人としての体面の方を重視するタイプの人々が、一定の割合で含まれている。

 とすれば、われわれの中にある何らかの要素(思想、信条、好みの下着などなど)が、彼らの好みに合わない時は、どんなひどい目に遭わされるのかわかったものではないわけで、だとしたら、私は彼らの手に「共謀罪」のような解釈の余地の大きい条文を与える決断には賛成できないのである。

 東京新聞が11日の紙面で伝えたところでは、


安倍晋三首相は、十日、共同通信社との単独インタビューに応じ、政府が通常国会に提出する方針を固めた「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案に関し、成立させなければテロ対策で各国と連携する国際組織犯罪防止条約が締結されず「2020年東京五輪・パラリンピックが開催できない」と指摘。懸念がある「共謀罪」には、「一般の方々が対象となることはない」と理解を求めた。--略--

 ということになっている。
 五輪の開催にかこつけて、共謀罪の必要性を訴えているカタチだ。
 別の角度から見れば、五輪という錦の御旗が、共謀罪創設のための道具として利用されている局面と見なすこともできる。