実際に、あの動画を見て、笑う人間と嫌悪感を感じる人間のいずれが多いのかは、簡単にはわからないことだが、ネット上の書き込みを見ていると、どうしてもケチをつけている人間の方がつまらない人間に見えてしまう。というのも、炎上中の書き込みの中では、真面目に発言すればするほど、傍観者の目には、余裕のない人間に見えてしまうものだからだ。

 あのタイプのお笑いコンテンツに慣れている人たちは、もしかして気づいていないのかもしれないのだが、あの映像を見て、「残酷だ」と感じるのは、決して異常な感覚ではない。

 また、あの映像を見て

 「吐き気がする」

 みたいな感想を書きこんでいる人たちは、良い人ぶるためにそうしているのでもない。

 普通の人間が予備知識なしにあの映像を見れば、誰でもびっくりする。あれはそれほど凶悪な内容をはらんだ映像なのだ。

 私が懸念するのは、あれを見ている子供たちが、

 「ああ、こういうのが大人の笑いなんだな」
 「こういう笑いを発明できる発想とそれを実現する実力が笑いの世界のリーダーには必要なのだな」

 みたいなことを学ぶかもしれないことだ。

 もうひとつ、私が、いやな感じを抱いているのは、ベッキータイキック事案を擁護している人たちが張り巡らしている論陣が、

 「これは暴力ではない」

 という正面からの擁護ではなくて

 「これはたしかに暴力ではあるが、有効な暴力なのだ」
 「暴力か非暴力かというのならこれは明らかに暴力ではある。でも、あんたらカタブツの腐れインテリは認めないんだろうけど、この世界には必要悪としての制御された暴力もあれば、笑って楽しめる茶目っ気のある暴力もあるんだぜ」

 ぐらいなところに構築される卑怯極まりないお話に着地しつつあることだ。
 この言い方は、人種差別を咎められた人たちが持ち出す常套句にとてもよく似ている。

 「なんでもかんても差別ってことにしたら、窮屈で生きていけないぞ」
 「言語道断の差別っていうのもそりゃあるんだろうけど、社会を健全に保つためにきちんと線を引いておかないといけない区別っていうのもあるんだぜ」

 この番組をはさんで戦われたネット上の論争が、

 「面白いことをこだわりなく笑う自由で闊達なオレたち」
 と
 「こんなに面白い番組に目くじらを立てて騒ぎたがるいけ好かないあいつら」

 を分断する結果をもたらしているようにしか見えない点も、薄気味が悪いといえば悪い。
 実にいやな感じだ。

 これはあくまでも一般論として言うのだが、私は、昭和のある時期まで、お笑いに目くじらを立てるのは、どちらかといえば右派の仕事だったと思っている。

 少なくとも私が若者だった頃までは、芸人の発言やネタにケチをつけるのは、日本の伝統的な価値や秩序を大切にする保守的な人々だった。

 ところが、21世紀になると、もっぱらリベラルないしは「左派」に分類される人々が、人権や差別や暴力といった観点からお笑いに文句をつけるケースが目立つようになっている。

 このことは、お笑いという文化なり演芸なりが果たしている機能が、風刺や反抗から、集団への同調や異端者のいぶり出しに移行しつつあるということでもある。つまり、人権だの差別だのみたいな学級委員くさいことを言わずに、ドカンと痛快にキモい連中を踏み潰す笑いを発明する人間が、笑いのリーダーになるということだ。

 結果として、PC(ポリティカル・コレクトネス)は、「腐れインテリ」や「学歴をハナにかけて気取ってるだけの地頭の悪いバカ」や、「朝日新聞的な理想と善意を振り回す気持ちのわるい市民派」みたいな層を代表する概念になってしまっていて、おかげて、昨今とんと人気がない。

 ベッキーには頑張ってほしいと思っている。
 ただ、頑張るにしても、ああいう禊ぎを受け入れるところから出発してしまうと、それなりにタレントとしての方向性が限定されてしまうのではなかろうかと、その点を心配している。

 まあ、人権なり自由なりをある程度断念するからこそ与えられる未来というのが、タレントという職業の実際だというのなら、私には言うべき言葉はひとつもない。ご自身の役割をまっとうしてください。

(文・イラスト/小田嶋 隆)
紅白、飛ばし見しましたけど意外に楽しめましたよ。
すくなくともタイキックは出なかった。イカはいましたが。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。