というのも、あの番組を毎年見ている事情をよくわかったお笑いファンにしてみれば、タイキックや棒による尻叩きが、あくまでも「仮構」(あるいは「ブック」)であることは織り込み済みの「常識」だからだ。

 また、あの番組が巧妙なのは、松本や浜田を含む全員が平等に制裁を受けることで、「いじめ」の批判をかわしている点だ。

 実際、大晦日の夜に、一年に一度だけ、強固な権力勾配を一時的に無化して、すべてのメンバーに等しくシバキを与えるあの番組のレギュレーションは、お笑いの世界の平常運転である「パワハラ」を、除夜の鐘よろしく浄化してしまう「無礼講」の役割を果たしている。

 「松ちゃんだって叩かれてるじゃないか」
 「ハマダさえもがあんなにひどい目にあってるこの番組のどこがいじめだというのだ?」

 と、いじめに加担する人間は、時に役割を逆転させることで、自分たちの組織の構造を維持しようとする。

 機転のきく人間たちがゲームとして楽しんでいるパワハラは、非常によく考えられた安全弁を備えている。私たちの国には、そうした構造を内在させている組織がいくらでも転がっている。

 ただ、そういう事情をすべてひっくるめた上で、それでも、若い女性の尻に格闘家が蹴りを浴びせる絵ヅラが、事情を知らない人間に異様な印象を与えることは、動かすことのできない事実だ。番組スタッフは、この点について真摯に考える機会を持つべきだと思う。

 ついでに、若い女性が尻に回し蹴りを浴びて悲鳴をあげる様子を笑いとして消費する作劇作法についても、あらためて自問自答してみたほうが良い。

 あんなものが人気番組として通用している国の国民であることに恥ずかしさを感じている国民は、決して少数派ではない。17%の視聴率は、低い数字ではないが、83%の人間が見ていないということを軽くみるべきではない。

 お笑いのアングルに必ずしも詳しくない視聴者が、あの動画を「いやがる女性タレントの尻に無理やりタイキックを浴びせて、痛がってのたうちまわる様子を周囲のみんなで笑う」だけのどうにも残酷な見世物と判断して、

 「吐き気がする」

 みたいな反応をSNSに書きこんで嘆いていることを

 「笑いのわからない鈍物」
 「ざあますばばあ」
 「いい人ぶってるだけのクソ」

 みたいな言い方で嘲笑する書き込みが、結局のところ大勢の支持を得ているように見えることも、今回の炎上がもたらした有害な波及効果のひとつだ。