ベッキーにタイキックが浴びせられた場面は、ユーチューブにアップされた動画で視聴した。

 経緯は以下の通り。
 まず、ベッキーに対して、タブレットの中に収められていたインスタ画像を経由して、唐突に「タイキック」による洗礼が宣告される。テレビ画面には、「ベッキー禊(みそぎ)のタイキック」というテロップが出る。ベッキーはいやがっている。やめてくれと懇願する。しかし、踊りながら登場した女性格闘家は、ベッキーを机にもたせかけて固定すると、その尻に容赦のない回し蹴りを浴びせる。出演者一同は、笑い転げている。

 「いいの入った」

 と、字幕入りで囃し立てている。なんだろうこれは。
 動画をひと目見て

 「ああ、これは炎上するだろうな」

 と思った。
 個人的な見解を先にお知らせしておくと、私は、この番組の中の少なくとも「ベッキータイキック」のパートは、俗悪な企画であり、悪趣味なパフォーマンスだったと思っている。

 ただ、私が「ああ、これは炎上するだろうな」と感じた理由は、必ずしも番組の俗悪さのみによるものではない。

 私がこの動画を見て、炎上を予感したのは、この企画が、この数年来何度も燃え上がってはくすぶっている「ポリティカル・コレクトネス」がらみの面倒くさい論争に、燃料を与える要素を大量に含んでいると思ったからだ。

 まず、建前論を申し上げておく。
 前提として、暴力はよろしくない。

 次に、いやがっている人間に暴力を発動することはさらによろしくない。
 とすれば、いやがっている人間に暴力を強いる映像を娯楽として消費することは、さらにさらによろしくない。

 ということは、「ベッキータイキック企画」は、完全にアウトだ。
 どこをどう切り取っても、擁護できる要素はひとっかけらも存在しない。
 以上が議論に入る以前の大前提だ。

 さてしかし、ベッキータイキック企画は、単なる「暴力」ではない。
 画面でそう見えているとおりの「強要」でもおそらくない。
 言ってみれば「暴力」を素材としたエンターテインメントだ。

 ということは、ここで展開されている「暴力」は、ボクシングのリングの中でやりとりされている制御された動作としてのパンチが、文字通りの暴力とは一線を画したスポーツ競技の一所作であり、アクション映画の中で繰り出されているキックや背負い投げが、あらかじめ設定された台本の範囲におさまる虚構であるのと同じ意味で、いずれにせよ文字通りの「暴力」そのものではない。おそらく、現場的には「お約束」として処理されるコールアンドレスポンスの一部といった程度のものだ。