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 第一に、「東京いい店やれる店」がピックアップし、紹介し、ランキング化していたのは、「店」であり「デートコース」だった。

 ということは、あのヒット企画は、タイトルに「ヤレる店」という下品な表現をフックとして用いてはいたものの、その内容はあくまでも「おすすめのデートコースと評判のレストラン」をガイドする、東京のレストランガイドだった。その意味で、今回の「週刊SPA!」の企画記事を同一線上に並べられるものではない。

 今回の「週刊SPA!」の記事がランキング化しているのは、ズバリ「女子大学生」という生身の人間だ。

 しかも、その都内の女子大学生たちは「ヤレるかヤレないか」という一点に沿って序列化され、評価され、名指しでまな板に上げられている。

 「ヤレる店」をランキング化する企画にしたところで、そりゃたしかに上品な話ではないだろう。

 でも、「ヤレる女子大生」を実在の大学名そのまんまでBEST5まで表にして掲出してしまう感覚とは比較にならない。いくらなんでも、「ヤレる店」の企画は、そこまで凶悪ではない。

 最後に「女衒」についても一言触れておきたい。

 「週刊SPA!」の当該のこの企画は、三部構成で、第一部が「アプリ」紹介、第二が「飲みコンサル」、第三部が「女衒」となっている。内容は、それぞれ、「ギャラ飲みアプリの紹介」「ギャラ飲みマッチングサービスを主宰する人々によるギャラ飲みイベントの紹介」「女衒飲みの紹介」だ。問題は第三部の「女衒飲み」なのだが、私は、当初、「女衒」からの被害をブロックするためのお話だろうと思って読んでいた。当然だ。

 なぜというに「女衒」というのは、女性が性的商品として人身売買されていた時代の職種で、現代にあっては反社会的組織の人間が担っていると考えられる犯罪的な役割であり、明らかな蔑称だからだ。女衒と呼ばれて喜ぶ人間はいないはずだし、女衒に近づきたいと考える人間も普通はいない。

 ところが、最後まで読んでみるとどうやら様子が違う。というのも、この記事の文脈の中では、「女衒」は、蔑称ではないからだ。蔑称ではないどころか、一定のリスペクトを持って「女衒の人との接触に成功」(週刊SPA!12月25日号p56)というふうに書かれていたりする。

 見出しでも
「実はコスパ○(マル)。女衒ギャラ飲みはかわいくて安い」(同p56)
 となっているし、本文でも
「アプリでは時間ごとにどんどん料金が加算されていくが、女衒に紹介してもらった場合は、明確な時間制限はないのがありがたい」
「女衒飲みの条件として、女衒が指定した店で飲む必要があるが、細かいルールは少なく、あくまで”大人のやり取り”になる」
 などと、記事中では「女衒」を肯定的な存在として持ち上げている。

 私は、「女衒」という言葉をこれほどまでにポジティブに運用している現代の文章をほかに知らない。

 彼らはいったいどうしてまた、女衒なんかを持ち上げているのだろうか。