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 ところが、どうしたものなのか、21世紀のネット社会では、この種の不祥事→お詫び案件が発生すると、ほとんど反射的に「詫びさせた側」「クレームをつけた人々」を叩きにまわる人々が、どこからともなく湧いて出て一定の役割を果たすことになっている。

 今回の場合だと
「シャレのわからない赤縁メガネの学級委員長タイプがコメカミに青筋立ててキャホキャホ言い募ったおかげで、なんだか世にも凶悪な性差別記事だったみたいな話になっちゃってるけど、実際に読んでみれば、なんのことはないよくあるナンパ指南のテキストですよ」
 みたいな語り口で事態を説明したがる逆張りの人々が、加害記事の制作者を応援している。

 振り返れば、財務省を舞台としたセクハラ事件でも伊藤詩織さんが告発したレイプ疑惑でも、最後まで加害者の側に立って、被害者の態度に非を鳴らす人々がSNSに盤踞していた。

 彼らは、炎上の原因を、記事そのものの凶悪さにではなく、クレーマーの狂気やフェミの人権意識の病的亢進に求めるテの論陣を張りにかかる。

 でなくても、そういう人々は、今回の記事の欠点を
「『ヤレるギャラ飲み』というタイトルの付け方が行き過ぎだった」
「『お持ち帰りできる女子大生ランキング』にしとけばセーフだった」
 という程度にしか受け止めない。

 冒頭近くで引用した「週刊SPA!」編集部のコメントも、もっぱらに「言葉の使い方の不適切さ」を詫びることに終始していた。

《 −略− そのなかで「より親密になれる」「親密になりやすい」と表記すべき点を読者に訴求したいがために扇情的な表現を行ってしまった −略− 》
 と彼らは言っている。

 要するに、編集部は、今回の騒動の主たる原因を、「ヤレる」という書き方が下品で扇情的だった点にしか認めていない。逆にいえば、彼らはその部分を「親密になれる」と言い換えていればOKだったと考えている。ということは、企画意図自体の凶悪さを認めていないわけだ。

 9日になって5大学が抗議文を発表したことを受け、扶桑社は同日夜に公式サイトで「女性の尊厳に対する配慮を欠いた稚拙な記事を掲載し、多くの女性を傷つけてしまったことを深くお詫びいたします」などとする謝罪文を掲載した。

 しかしネット上のコメントの中には、編集部を擁護する声が多数ではないが蔓延している。

 代表的なのは、
「ホイチョイの『東京いい店やれる店』がヒットしたのは、1994年だったわけだけど、あれから四半世紀で、日本の空気はすっかり変わってしまったわけだな」
「思えば遠くへ来たものだな」
「もう、『ヤレる』なんていう言葉を含んだ企画は二度と編集会議を通らないんだろうな」
 的な述懐だ。

 彼らは、記事の劣悪さそのものよりも、むしろ凶悪な記事が許されなくなった世間の風潮の変化を嘆いている。

 「窮屈でかなわないぜ」
 というわけだ。

 念のために解説しておくと、彼らの分析は根本的に的を外している。

 今回の経緯をどうしても「お上品ぶった腐れリベラルだとか、何かにつけて噛み付いてくる狂犬フェミみたいな人たちのおかげで世界が窮屈になっている」というストーリーに落とし込みたい向きは、「1990年代には、『東京いい店やれる店』が大ヒットしていたのに、2019年には、同種の雑誌企画がいきなり謝罪に追い込まれている」という感じの話に逃げ込みたがる。

 でも、それは違う。