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 ネット上で殺伐とした言葉をやりとりしている業界周辺の人々の言い分を要約すると
「フェミやらクレーマーやら人権屋やらの正義派ぶったツッコミにいちいち真正直に対応していたら、男性向け娯楽雑誌はじきに聖歌隊の歌集みたいなものになるぞ」
「お上品な雑誌が読みたいんなら自分でノートの裏にでも記事書いてろよ」
 てなお話になる。

 つまり「リアル」で「ぶっちゃけ」な「男の本音」を率直に反映した誌面を作るのであれば、無遠慮な下ネタを避けて通ることは不可能なのであって、むしろ問題なのは、本来男が読むべき雑誌を、想定読者ではないある種の女性たちがわざわざ眉をひそめるために読んでいるその異様な読書習慣のほうだ、と、彼らは言いたいようだ。

 もちろん、私とて、最新号の雑誌を陳列する書店の書棚が、上品で奥ゆかしい5月の花園みたいな場所であることを期待しているわけではないし、すべての雑誌が清らかなピューリタンの魂を体現すべきだと考えているのでもない。

 とはいえ、「週刊SPA!」の当該の特集に対して投げかけられた非難の声が不当に大きすぎるというふうには、まったく思っていない。また、今後あの種の企画が萎縮することでわが国の雑誌出版文化が危機に瀕するだろうとも考えない。当然だ。あれは、なんの取り柄もない、どうにもならない正真正銘のクズ記事だった。

 下品だからダメだと言っているのではない。
 不謹慎だからこの世界に生き残るべきではないと主張しているのでもない。

 個人的な見解を述べるなら、私は、書き方に多少下品な部分があっても、内容が面白いのであれば、その記事は掲載されるべきだと思っている。また、本文中に不謹慎な断言をいくらか含んでいるのだとしても、全体として洒脱なテキストであるのなら、その文章は必ずや印刷されて読者のもとに届けられなければならないと考えてもいる。

 雑誌は、多様であるべきものだ。

 その意味で、雑誌の記事は、不謹慎であっても面白ければOKだし、不真面目に書かれていても参考になればオールライトだ。ダサくても真面目なら十分に許容範囲だ。つまり、どこかに欠点があっても、ほかの部分になにがしかの魅力が宿っているのであれば、雑誌記事は、生き残る資格を持っているものなのだ。

 12月25日号に掲載された「ギャラ飲み」特集の特集記事は、そういう長短を併せ持ったテキストではなかった。

 バカがカッコつけたあげくにスベってみせただけの、ダサくて下品で、おまけに差別的で、だからこそ批判されている、どこをどう拾い上げてみても擁護できるポイントがひとつも見当たらないゲロ企画だった。

 ということは、あんなものはツブされて当然なのである。

 毎週毎月大量に発行され、印刷される雑誌の記事の中に、価値のないパラグラフや、焼き直しの凡庸なフレーズが含まれているケースは、実のところ珍しくない。というよりも、雑誌の主要な部分は無価値なフレーズと焼き直しのアイディアで出来上がっている。それはそれでたいした問題ではない。

 ただ、今回のあの記事は、単に無価値であるのみならず、確実に暴力的で差別的な言葉を随所に散りばめることで、明らかな被害者を生み出していた。その点が大きな問題だった。

 関係者にぜひ正しく認識してもらいたいのは、「週刊SPA!」のあの記事が「面白いんだけど言い過ぎてしまったテキスト」や、「トンガッている分だけ毒が強すぎた企画」ではなくて、「調子ぶっこいたバカがあからさまな性差別を振り回してみせただけの救いようのないゴミ記事」だったということだ。