もしかしたら、「実際にかかる金額」は、「最終的な額」ともまた別の金額になるかもしれない。ともあれ、正直な森さんが、7月の段階で「2兆円を超すことになるかもしれない」と言ってしまっていることから見て、この程度の数字は、ずっと以前から、関係者の胸の中に静かに畳まれていた金額だったはずだ。

 その「1兆8000億円」という数字が、メイン会場の再出発も決まり、国民的な意識としてもはや引き返せない段階に差し掛かっていることがはっきりしたこの12月のタイミングで、あらためてデビューしたわけだ。
 そういうふうにして、彼らは、様子をうかがっている、と、そういうことなのではあるまいか。

 反発が大きいと見るや、ひとまずその数字を引っ込めて、さらに様子をうかがっている。
 なんだか、はじめから「観測気球」だったみたいな記者発表の仕方だ。

 この21日の武藤敏郎事務総長の会見を受けて、朝日新聞と日本経済新聞が以下のような記事を書いている(出典はこちら。朝日日経)。

 朝日は、「予算増額の見通し 2020年東京五輪」という見出しで、金額を明らかにせず、「増額の見通し」である旨だけを簡潔に記している。日経もほぼ同様。「東京五輪組織委運営費、想定を上回る」として、運営費が当初見込みの約3500億円を上回る見通しである旨を伝えている。

 以来、続報は無い。
 各社とも

《武藤事務総長によると、現在は組織委や東京都、国がそれぞれ負担すべき業務を整理しており、来夏をめどに計上額をまとめる予定。》

 という21日の時事通信の記事にあった説明を受けいれて静観する構えだ。

 2016年の初回分の原稿で、私がこの話題を取り上げているのは、昨年のうちにちょっと炎上して既に鎮火している案件にいつまでも拘泥していることになるのか、それとも、この夏をめどに発表されるはずになっているより確かな試算の数字を待てずに先走った結果なのか、いずれにせよ、空気を読み違えている態度ということになるのかもしれない。

 その可能性はある。
 私は、空気を読み違えているのかもしれない。
 新聞もテレビも雜誌も、事態を静観している。
 なのに、オダジマだけがいきり立っている。
 バカみたいだ。

 しかし、静観していて良いのだろうか。
 私はジャーナリストといったようなものではないが、それでも、1兆8000億円だとか2兆円だとかみたいな数字を匂わされて、おとなしく黙っていることは、苦痛だ。
 このまま夏まで黙って数字が出てくるのを待っている気持ちにもなれない。

 その時になって出てくる数字が、1兆5000億円なのか、あるいは3兆円になるのか、私にはわからない。が、どんな数字が出てくるのであれ、その数字とて最終的な決算から遡れば、目安に過ぎない。