もっと言えば、私たちが暮らしているこの社会自体、仕事と言わず、サービスと言わず、政治と言わず、おしなべて、紅白歌合戦ならびにおせち料理化しつつあるのかもしれない。ゴテゴテと細部を飾り、あらゆる余白にありったけのあれこれを詰め込んだ結果、われわれは、隅っこばかりが充実した世にも不味い重箱料理を作っているのである。

 おそらく、日本の正月を休めない季節に変貌させてしまった21世紀の思想も同じところから来ている。すなわち、あらゆる場所にゴテゴテとありったけの要素を詰め込みにかかる偏執的なサービス過剰の思想が、われわれの社会を誰もくつろげない岩盤浴の暗がりみたいなものにしている。そういうことだ。

 都知事が「都民ファースト」なるキャッチフレーズを連呼し、ハンバーガーチェーンが「スマイル0円」というスローガンを繰り返すのは、われわれが過剰なサービスを求めるからでもある。

 一見、サービス無限極大化思想は、顧客のためには素晴らしいことであるように見える。

 が、サービスはお互いさまだ。
 人が人であり社会が社会である限りにおいて、他人に要求したことはいずれ自分自身へのノルマとして返ってくる。

 早い話、サービス(奉仕)が提供される場所には、必ずサーヴァント(下僕)がいる。

 ということはつまり、サービスが極大化されねばならず、しかもそのサービスの対価が常に無料であらねばならないのだとすると、サーヴァントの労働はどこまでも奴隷に近づかざるを得ない。

 かくして、私たちは、自分たち自身を奴隷化することで過剰サービス社会を支えることになる。
 なんと皮肉な結末ではないか。

 出版の世界の正月は、幸か不幸か、昔と変わらず、きちんと一定期間停滞することになっている。
 理由は、最後の砦である印刷所が動かないからだ。

 10年ほど前に聞いた話では、外国人労働者に多くを負っている印刷工場は、そうそう年中無休で輪転機を回すわけにも行かないということだった。いま現在、その状況がどう変わっているのか、残念だが、私は事情を把握していない。

 あるいは、印刷機が動くとか動かないということとは別に、出版への需要自体が右肩下がりになっている事情があるのかもしれない。
 雑誌に限った話をすれば、おそらく、正月に印刷機を動かす意味は無いはずだ。

 ん? 
 ということはつまり、正月は、停滞した業界にだけやってくるものになっているということなのだろうか。
 よくわからない。