店が開いていなかったり、世の中が型通りに動き始めていないから、仕方なく家の中でくすぶっているという事情が前提としてまずあって、そんなこんなで、生産や消費にかかわる一切を一時的に断念せざるを得ないというのが、その昔のお正月という現象の実相でもあった。

 であるからして、三が日を過ぎてしまうと、正月の停滞と非能率は、若い人間にとっては、むしろ苦痛だった。

 テレビはつまらないし、出かけて行く先も無い。まして、携帯電話の無かった時代は、友だちとも簡単には連絡がつかなかった。

 なので、三学期が始まって学校に出かけなければならない日がやってくると、それはそれで奇妙な解放感のようなものを味わったものだった。逆に言えば、昭和の中期ぐらいまで、正月は、経済と社会が停止してしまう監獄みたいな期間だったわけで、その中に閉じ込められた子供たちは、実は、退屈で死にそうな思いをしていたものなのである。

 当時の鬱屈を思えば、現在の、便利で活発で刺激に満ち溢れた正月の方が、ずっと好ましい。実際、昭和40年代までのあの停滞した正月に戻されたら、私は間違いなくうんざりするだろう。

 おせち料理は、どれもこれもカタくてしょっぱくて乾いていて食えたものじゃなかったし、羽根つきやら凧上げが特段に面白かった記憶も無い。冬休みは、ありていに言えば、ただただ退屈だった。

 お正月に関する楽しい記憶は、お年玉に尽きる。現金だけが救いだった。してみると、お年玉がなかったら、正月は、1年中で一番イヤな季節だったかもしれない。

 それでもなお、私が、昭和の時代の正月をなつかしく思い出すのは、正月そのもののあり方というよりも、暮らし方全般の話として、現在のこの平成の世の中のあまりといえばあまりにせわしない行き暮れに、疲労を覚えはじめているからなのかもしれない。

 便利なのはありがたいことなのだとして、その便利な暮らしを維持するために、誰もが皆、息を抜かずに励んでいなければならない設定に、うとましさを感じているわけだ。

 便利な世の中の利便を享受する者として、私たちは、どんな嵐の夜であっても常に必ず店を開いている24時間営業のコンビニのある街で暮らし、その街の中の常時インターネットがつながっている部屋で寝起きしている。

 これはこの上なく便利な暮らしぶりだし、だからこそ、一度この生活を知ってしまった以上、後戻りがほぼ不可能であることも、承知している。

 仮に、ひと月のうちに1日か2日、どうしても眠れない夜があったのだとしても、動画配信サービスのメニューを行ったり来たりしているうちに、じきに朝がやってくる。とすれば、眠れぬ夜もそんなに悪いばかりのものではない。いずれにせよ、昭和の時代の眠れない夜のやり場のなさとは、くらべものにならない。

 ただ、この生活を支えるためには、誰かが真夜中のレジに立って働いていなければならない。ネットやら動画配信やらのメンテにだって労働力は必ず要るし、休まない設定の何かを動かすためには、寝ないで見張りをしている人間が一定数確保されていなければ現場が立ち行かない。