実はこの判断は後日ひっくり返されることになります。大学側の異議申立によって、この事案を再審理したNLRBは、自身の判断が民間セクターにしか拘束力を持たない点を挙げ、「(私立大学にのみ)学生選手による労組結成を認めると大学スポーツ界に混乱を招くことになる」として、労組結成を認めないとしました。

 しかし、再審理では学生選手が労働者なのかどうかの判断は行わなかったため、NLRBが当初認めた学生選手の労働者性が否定されたわけではありません。

 このように、米国の大学スポーツではそのビジネスモデルの根幹を支えるアマチュア規定が違法状態にある上、学生選手の労働者性が連邦政府の独立機関により認められるという混沌とした状況にあります。日本版NCAA創設に際しては、こうした「影」の部分もきちんと理解しておく必要があるでしょう。

事業化に向けて課題山積の日本学生スポーツ界

 ここまでは、NCAAビジネスの影の部分に焦点を当てて解説してきました。これを踏まえ、日本で同様の取り組みを行う際に留意すべき点を整理してみようと思います。

 NCAAの収益の大部分はフットボールと男子バスケからもたらされ、それは高卒プロを認めないプロ・アマ間の協調関係があるためだと指摘しました。この点から日本のスポーツ界を眺めてみるとどうでしょうか?

 日本のプロスポーツを市場規模から見れば、プロ野球とJリーグがトップ2になります。しかし、これら2競技はいずれも高卒プロを容認しており、大学スポーツ界の利益は守られていません。しかも、野球界においては「プロ・アマの壁」と揶揄されるように、長きにわたりプロ・アマ間でのコミュニケーションが遮断されていました。米国のように、競技全体の利益を考えた制度設計を行いにくい状況があります。

 また、NCAAがその収入の大部分をテレビ放映権に依存している事実も見逃せません。米国では、約9割の世帯が有料テレビに加入しており、毎月1万円程度の加入料をテレビ業界に落としています。近年、NetflixやHuluといったネット動画配信事業者(OTT事業者)の台頭でテレビ業界との競争は熾烈を極めています。OTT事業者との対抗上、テレビ業界はスポーツ中継の放映権を“最終兵器”に業界の命運を託す戦略を取っており、2012年を境にテレビ放映権が急騰しています(詳細は「動画配信サービスがスポーツメディアにもたらす地殻変動(上)」参照)。

 これに対し、日本では地上波無料放送が基本となっており、スポーツ中継の放映権がメディア市場で持つバリュー・プロポジション(訴求価値)には大きな違いがあります。メディア競争環境が全く異なる米国の真似をしても、テレビ放映権に立脚したビジネスモデルを日本で創るのは難しいでしょう。米国では、多くのカンファレンスが自分のテレビ局を設立して事業展開していますが、日本では夢のような話です。

 また、部活間の縦割り運営も頭の痛い問題です。日本の大学スポーツ界には、米国の体育局(Athletic Department)のように運動部全体の利害を考えるビジネス組織がありません。例えば、テキサス大学なら、運動部の名前は野球部もフットボール部もテニス部も「ロングホーンズ」(Longhorns)で統一されており、ユニフォームの色もスクールカラーの「白とオレンジ」で統一されています。

 これに対し、日本ではそれぞれの部活でチーム名やユニフォームの色がバラバラなのが普通で、スポーツ強豪校になるほど伝統がある分、部活間で歩み寄れる幅が少ないという状況です。運営が部活間で縦割りに行われているうちは、スポーツ観戦は部活の関係者だけに留まってしまいがちで、大学全体をあげた盛り上がりにはなりません。

 さらに、部活動の位置づけに大きな本質的変化が起こることを予想しておかなければなりません。現在、日本の学校では部活動を教育として位置付けており、広く多くの学生にその価値を提供することに成功しています。

 しかし、ビジネスとしてこれを行う場合、フェアネスの視点がより重要になってきます。前回のコラムでも指摘しましたが、NCAAでは競争条件を公平にするために厳密に奨学金を提供できる学生選手の数に制限を設けており、実質的に部活動は限られた一部のスポーツエリートのために存在する形になっています。一般の学生は、その部活動に入りたくても門前払いされてしまいます。

 最後に、最大の課題になるのは人材ではないかと思います。日本のスポーツ界でトップレベルの人材が集まっているプロ野球やJリーグですら、多くの球団は親会社や責任企業からの実質的な補てんにより赤字をかろうじて免れている状況にあります。多くのプロスポーツ球団が独立採算に向けた経営に悪戦苦闘している中、コンテンツ力でプロスポーツに大きく劣る大学スポーツで、スポーツ事業を継続していくことは簡単なことではないでしょう。