具体的には、トーナメントの1試合に出場すると「1バスケットボール・ユニット」が得られ、過去6年間に所属大学が合計で何ユニットを獲得したかに基づいて、その年の収益がカンファレンスに分配されることになっています。勝てば勝つほど獲得ユニットが増えるため、分配金も増えるのです。

 これにより、カンファレンスの経営力が試されることになります。経営力が低く、所属大学が多くの勝利を挙げることができないカンファレンスからは有力大学が別のカンファレンスに移籍することも珍しくありません。

 以上から分かるように、大学もカンファレンスも常にそのスポーツ経営力が試され、タレントを囲い込むことができないシステムになっているのです。

見事なプロ・アマの共存戦略

 3つ目の成功要因はプロ・アマ間の共存関係です。

 日本で「プロ・アマ」と聞くと、野球界のプロ・アマ問題を真っ先に思い浮かべる方も多いと思います。日本の野球界では、1961年に起こった「柳川事件」(プロ側が社会人野球との紳士協定を破棄し、中日ドラゴンズが日本生命の社会人選手だった柳川福三外野手と無断で契約を結んだ)をきっかけにプロ・アマ関係が断絶してしまった経緯があります。以来、日本球界では長きにわたりプロ・アマ間でのコミュニケーションが遮断されてしまいました。

 これとは対照的に、米国スポーツ界では、プロ・アマ間で双方の利害が尊重された絶妙な協調関係が構築されています。例えば、それはテレビ放映の棲み分けにも見ることができます。

 スポーツ組織にとって、テレビ放映権収入は最大の収入源であり、高視聴率を得ることは至上命題です。その点、見方によってはプロとアマは同じ視聴者を奪い合う競合と捉えることも可能でしょう。極端な例を挙げれば、同じ時間帯にプロとアマが試合中継を行えば、視聴率を喰い合うことは間違いありません。

 米国フットボール界では、このカニバライズを防止するために、巧妙な“時間差戦略”が採用されています。高校フットボールは金曜日の夜に試合を行い、土曜日は大学フットボールが、日曜日と月曜日はプロ(NFL)が試合を行うという形で、週が深まるにつれてレベルの高いフットボールが観戦できるようになっています。

 これは相撲の取組やコンサートの運営に似ているかもしれません。相撲では、レベルの低い幕内力士の取り組みから開始され、最後に横綱が登場します。コンサートでも、最初は前座のバンドが場を盛り上げた後にお目当てのバンドが登場します。

 同様の協調関係は、タレントの獲得時にも見られます。先に、大学スポーツに大きな収益をもたらすのはフットボールと男子バスケだと述べましたが、これにはワケがあります。この2競技のプロリーグ(NFLとNBA)にはマイナーリーグがなく、大学が実質的にその機能を提供しているのです。

 実際、NFLでは高校卒業から2年以上、NBAも高校卒業から1年以上経過しないとドラフト資格を取得できません。つまり、高校での有力選手は必ず大学でプレーしなければならない環境が制度化されているのです。

 かつて甲子園を熱狂させたマー君とハンカチ王子を思い出して下さい。田中将大選手は楽天イーグルスからニューヨーク・ヤンキースに進み、斎藤佑樹選手は早稲田大学を経て日本ハムファイターズに進みました。二人はそれぞれの環境で大きくメディアに取り上げられてきましたが、もし二人の競演を1年でも2年でも大学で見ることができたなら、大学野球は大きく盛り上がっていたことでしょう。

 このように、米国の大学スポーツは最大のコスト要因である選手年俸を極小化しながら、適切な競争環境と協調関係を構築することで大きな成功を収めています。しかし、教育機関たる大学が商業主義に走るというジレンマにより、その経営手法には多くの問題点も指摘されています。「光」の部分だけに焦点を当て、形だけNCAAの真似さえすれば日本でも学生スポーツの事業化が上手く行くと考えるのは早計です。NCAAが抱える「影」の部分や、日本版NCAA創設に際して留意すべき点などについては、次回のコラムにて解説しようと思います。