となると国内だ。現状では、国内ではトヨタ自動車の名前がどうしても上がる。そもそもトヨタとスズキの縁は非常に深い。

 1970年代に国の自動車排ガス規制への対応が遅れ苦境に陥ったスズキは、76年にトヨタからダイハツ製4サイクルエンジンの供与を受けた。当時、日本自動車工業会会長だったトヨタの豊田英二氏は、スズキ専務だった鈴木修氏に「(会社が)潰れるんじゃ、仕方ない」と話したとされる。

 これ以来、修氏はトヨタというよりも、「豊田家」への「恩を忘れてはいない」(別のスズキ関係者)。また、修氏の岳父でありスズキ第二代社長だった鈴木俊三氏は、修氏に「何か(重大事が)あったら、豊田さんに頼みなさい」との言葉を遺したそうだ。そもそも1950年、大労働争議に見舞われた鈴木式織機(当時・現在のスズキ)は、豊田自動織機製作所の石田退三社長から融資を受け役員を派遣してもらい立ち直っていった。

 こうしたなか、81年にスズキがGMと提携するときに、「修氏は豊田英二氏に挨拶にやってきた」(トヨタ関係者)と言われる。つまりは、“仁義を切った”のである。

提携の度にトヨタに仁義を切っていた修会長

 その後も、「09年にVWと提携した後、そして包括提携解消が決まった15年と、修会長は豊田家に挨拶に行ってます」と先のスズキ関係者。

 90年代半ばから、トヨタでは奥田碩氏らのプロパー社長が続き、軽自動車の税制をめぐりトヨタとスズキが対立した経緯があった。スズキにとって最大のライバルであるダイハツ工業は、トヨタの子会社でもある。それでも「会社同士は対立していても、豊田家と鈴木家は良好な関係が続いていた」(地元の首長経験者)そうだ。

 しかし、ダイハツがトヨタの完全子会社となったいま、独禁法の関係からトヨタとスズキが資本提携するのは難しいだろう。トヨタによるダイハツの完全子会社化にしても、ライバル、スズキの存在があったからこそ公取委は認めた節がある。

 「というわけで、当面は単独でやっていくしかありません」と、スズキの関係者は語る。提携解消でVWから引き取った自社株、1億1161万株の引受先としてトヨタが取り沙汰されたが、実際には、この3月に約7000万株を自社で消却した。

 外資はこりごり、国内ではトヨタだがその道は塞がれている。ならば、単独か。

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