聚福縁公寓は工場アパートとして建てられたビルだったが、5~6年前に地上2階と3階の一部を改造して10数m2程の部屋を305室作って貸室としたのだった。聚福縁公寓の正面には貸室の客を呼び込むための赤色の広告が掲げられていたが、そこには「聚福縁公寓」と大書した下に「室内設備:独立トイレ、熱水器、キッチン、暖房、ベッド、洋服ダンス、LANケーブルなど」と記され、「電話:15901222098、18911416568」と連絡先が表示されていた。なお、火災後にメディアがこの番号に電話を入れたが、1つは電源が切られていたし、もう一つは誰も出なかったという。

 さて、貸室の家賃は占有面積により異なるが、月400元(約6800円)~700元(約1万2000円)と安く、住民のほとんどは外地から来た出稼ぎ者だった。彼らの多くは1室に3~4人で住み、共同生活を送っていた。居住者の1人はメディアのインタビューに答えて、「1人で月600元(約1万200円)の部屋に住んでいるが、来月から月200元(約3400円)の暖房費を取って集中スチーム暖房が始まるはずだった。地下には倉庫や工場があるようで、しばらく前までは常にガタンガタンという音が聞こえ、変圧器のブレーカーがしばしば落ちた」と述べている。

有毒ガス発生、金網で逃げられず

 その後の調査により出火元は地下1階の冷凍倉庫であると判明した。倉庫内に貼られていたポリウレタンフォームが燃えたことにより毒性ガスが発生し、この毒性ガスが隣接する小さなアパレル縫製工場に流入したため多数の労働者が死亡した。また、2階には長さ60mの狭い廊下が2本しかなく、しかも薄暗い電灯が点いているだけだった。各部屋の窓には泥棒除けの金網が貼られていたため、煙の流入で火災発生を知った2階の住民たちは必死で金網を外そうとしたが、金網はびくともしなかった。そこで廊下に出た人々は煙が充満する中を手探りで1階の出口へ向かったが、同公寓には出入口が大門と小門の2カ所しかなく、大門は閉鎖されていたため、人々は小門からしか逃げられなかった。公寓から命からがら逃げ出した人々は誰もが全身煤まみれで、一部の人々は路上で吐いたし、子供の中には意識を失った者もいた。

 後に公表された火災による死亡者名簿の内容は以下の通り。彼らの死因は全て一酸化炭素中毒だった。

  • 【1】山東省“郯城県”出身の男性(60歳)、その妻(58歳)、孫(男6歳)、孫(女1歳)
  • 【2】河南省“拓城県”出身の女性(50歳)、孫(男1歳)、孫(女4歳)
  • 【3】河北省“曲周県”出身の女性(31歳)、息子(1歳)
  • 【4】陝西省“周至県”出身の女性(24歳)、息子(3歳)
  • 【5】北京市大興区の子供(男11歳)、その弟(3歳)
  • 【6】その他:河北省“深州市”出身の女性(27歳)、河北省“威県”出身の男性(30歳)、河南省“固始県”出身の男性(21歳)、黒龍省“五常市”出身の女性(42歳)、新疆ウイグル自治区“葉城県”出身の男性(26歳、ウイグル族)、吉林省“楡樹市”出身の男性(47歳)

 上記の通り【5】の2人を除く17人は全て外地の出身者であり、“県”出身者が大部分であることから農村からの出稼ぎ者およびその家族であることは明白である。彼らは故郷から北京市へ出稼ぎに来て、家賃の安い聚福縁公寓でつつましく暮らしていたが、不幸にも火災により命を落としたのだった。名簿からはアパレル縫製工場の労働者が何人死亡したのかは分からないが、死亡者19人中の8人が子供であったことは悲しい事実である。

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