世界一周旅行の夢

 さて、殺害された江歌は母親の“江秋蓮”と2人だけの母子家庭だった。江秋連は江歌が1歳の時に夫と離婚し、20年以上にわたって女手一つで江歌を育てて来た。離婚の原因は夫が男尊女卑の封建思想に凝り固まり、生れた娘に見向きもせず、息子を産まなかったと言っては連日のように江秋連に暴力を振るったからだった。離婚した江秋蓮は娘の“歌”を連れて実家に戻り、娘の姓を“江”に変えた<注>。当時の中国では離婚は恥さらしとされ、後ろ指をさされるのが常だったから、江秋蓮は実家を離れて娘の江歌と2人寄り添いながら暮らし、あちこちでアルバイトをしながらぎりぎりの生活を送った。最も貧しい時期にはたった80元(当時のレートで1000円前後)の家賃が払えず、何カ月もため込むこともあった。

<注>中国では結婚しても女性の姓は変わらない。子供は父親の姓を名乗るのが普通だが、離婚協議書があれば地元の公安局に申請して承認を得ることにより、子供の姓を母親の姓に変えることが出来る。

 しかし、生活は苦しくとも、江秋蓮は江歌に対して「人は善良で誠実でなければならない」と教え、「人が危険な時は先ず自分の安全を確保した上で助けねばならない」と諭(さと)して、誰からも好かれ、善良で意思強固な人間に江歌を育てた。江歌は学業成績も良く、人に誠実で、彼女の友人は「江歌は猫のような女性で、やんちゃで可愛く、人付き合いが良く、虚栄心がなく、人と張り合わず、必要な時には自分の意見を主張し、しかも親孝行であった」と述べている。

 そんな江歌が日本へ留学する直前、江秋蓮は江歌が馬鹿にされないようにと900元(約1万5000円)のオーバーを買ってやった。ところが、家計が苦しいことを知っている江歌は受け取れないから返品するようにと言い張った。江歌は最後にはオーバーを受け取って大喜びしてくれたが、それは江秋蓮が娘に買ってやった最も高価な服となった。それほどまでに江秋蓮と江歌の母子はつましい生活を送って来ていたので、江歌が日本へ留学する費用を捻出する余裕などあるはずがなかった。ところが、幸運にも彼らが住んでいた住宅が都市計画で取り壊されることになり、代わりに2軒の住宅が支給されたので、1軒を売り払って留学費用を賄うことができたのだった。

 江歌は大学院で修士課程を終えたら、日本に留まって就職し、5年働いて30歳になる前に300万円を貯めて世界一周旅行に出ることを夢見ていた。江歌はその夢を実現することなく、他人の色恋沙汰のとばっちりを受けて殺されたのだった。修士課程を終えて就職すれば、母親に経済的な負担をかけることもなくなるし、仕送りして親孝行もできるようになると、勉学に励んでいた江歌。その思いもよらぬ死は彼女自身が無念であったに違いない。一方、後に残された母親の江秋蓮はどうだったのか。