さて、前書きが長くなったが、本題に入る。第二の楊佳と呼ばれる“賈敬龍”という人物がいる。その賈敬龍に対して、2016年8月31日に二審の“河北省高級人民法院”は死刑判決を下し、10月18日に最高人民法院が死刑判決を承認したが、多数の知識人がこれに異議を唱え、最高人民法院に対して死刑の撤回を求めて署名活動を展開している。その詳細は以下の通り。

新婚新居を襲撃、取り壊し

【1】賈敬龍は河北省“石家荘市”の“長安区”に属する“北高営村”の農家の若者である。2013年の年初に相思相愛で4年間付き合った恋人が賈敬龍の求婚を受け入れてくれ、2人は5月25日に結婚することを決めた。喜び勇んだ賈敬龍は、自宅を新婚住宅に改装しようと、自力で工事を始め、あちこちに建築材料を買いに走り、連日のように夜遅くまで働いた。そうして新婚住宅への改装が完成すると、賈敬龍はコツコツ貯め込んだ1元硬貨を使って「“我愛我家(私は我が家を愛する)”」という文字を書き、それを額に入れて部屋の壁に掲げた。賈敬龍はそれほどに新婚住宅の出来栄えに満足し、恋人との結婚の日を待ち望んでいた。

【2】1979年、賈敬龍の父親は北高営村から宅地の配分を受けて自宅を建設したが、2007年に自宅を3階建てに改築した。ところが、それから5年後の2012年1月に父親は村の集合住宅の中にある3DKの部屋を購入し、そこへ賈敬龍の両親と姉が移り住んだ。その後、祖母がその部屋に同居することになり、両親、姉、祖母が各々1部屋を使うことになった。一方、賈敬龍は3階建ての家に残留していたから、彼が新婚住宅に改装したのは3階建ての家だった。

【3】2013年2月27日、中国共産党北高営村支部書記で村民委員会主任の“何建華”が組織した取り壊し部隊が賈敬龍の住む3階建ての家に突然押しかけ、家を取り壊そうとした。これに驚いた賈敬龍は警察に通報し、取り壊しには断固応じない姿勢を示したので、彼らは諦めて帰って行った。ところが、5月6日の早朝、何台のも黒色の乗用車に分乗した一団が賈敬龍の家を取り囲むと、家に向けて一斉にレンガを投げつけて去っていた。何かが起こりそうな気配に賈敬龍が家の周辺を監視していると、翌7日の午後5時頃に、何建華の指示を受けた取り壊し部隊20人以上が敬龍の家に再び押しかけて来た。この日は結婚式まで18日、賈敬龍の27歳の誕生日まで6日に迫っていた。

【4】彼らは家の前にクローラー式油圧ショベル1台を持ち込むと、問答無用とばかりに賈敬龍が改装した新婚住宅を強引に取り壊しにかかった。賈敬龍が制止しようとしても、彼らは一切聞く耳を持たず、手あたり次第に破壊するだけで、それは正に暴徒による乱暴狼藉としか言いようがなかった。賈敬龍は2階で暴徒が上ってくるのを懸命に阻止していたが、父親が彼らに取り押さえられ、親戚の人々が殴打されるのを見ると、2階から下りざるを得なかった。すると、暴徒たちは賈敬龍を地面に押し倒して殴る蹴るの暴行を加えたから、賈敬龍は頭部に打撃を受けて流血した。そうこうするうちに、賈敬龍の姉が警察に通報し、警官が現場へ急行したが、なぜか賈敬龍は“高営派出所”へ連行され、8日の午前3時過ぎまで取調べを受けて調書を取られた。ようやく帰宅を許された時には、家はすでに全て取り壊さて廃墟と化し、汗水たらして改装した新婚住宅も、準備した新婚の調度品も全て廃墟の下に埋もれていた。