一方、劉淇は嫉妬心が極めて強く、当時の総書記である“胡錦濤”に抜擢されて北京市へ送り込まれた王岐山を失脚させようと、人に命じて党中央政治局に宛てて王岐山の罪状を書き記した匿名の告発文を700通以上も送り付けた。これを受けた王岐山も党中央政治局に劉淇の腐敗などの罪状を告発して対抗した。また、王岐山は共産党の“中央規律検査委員会”に対して自宅の電話や市長の専用電話が2年以上にわたって盗聴されていることを告発し、調査の結果、盗聴器は劉淇の指示により据え付けられたことが判明した。北京市のNo.1とNo.2が一つのビルの中で角突き合わせて仕事をしていることで、それぞれの部下たちも反発し合い、当時の北京市党委員会は混乱し、正常な業務ができない状態にあった。

 このため、最後は胡錦濤が介入せざるを得なくなり、胡錦濤は北京市党委員会常務委員会の会議に出席して、劉淇を党内で取り調べるよう指示を出したのだった。こうして、2007年10月に開催された中国共産党第17期全国代表大会後に、胡錦濤は“郭金龍”を王岐山に替えて北京市長などの役職に据え,王岐山を党中央政治局委員に昇進させたのだった。

暴露の狙いも藪の中

 現在74歳の劉淇は江沢民の故郷である江蘇省の出身で、江沢民グループに属し、江沢民によって北京市長兼北京オリンピック組織委員会主席に抜擢され、2002年に共産党中央政治局委員、北京市党委員会書記に昇進した。こうした経歴から考えると、劉淇が習八条を無視して一族郎党を引き連れてチベット自治区へ観光旅行するのも、江沢民に敵対する習近平への当て付けとも考えられる。

 一方、「劉淇一行のチベット自治区観光旅行」を敢えてネット上に暴露したハンドルネーム“北外喬木”なる人物は、純粋に腐敗高官として劉淇を告発したのか、あるいは反江沢民の意図を持って劉淇の告発を行ったのか。その真相は分からない。

 中国では常に権力闘争が行われており、習近平、胡錦濤、江沢民の3グループによる熾烈な戦いが陰に陽に展開されている。上記に述べたネット上の告発が純粋に反腐敗を目的としたものとは断定できないところに、中国社会の難しさがある。北外喬朴なる人物は、一体どこから「劉淇(りゅうき)同志一行林芝視察接待具体案」という文章を入手したのか、これも謎である。