さて、話は劉淇一行のチベット観光旅行に戻る。2012年11月15日に中国共産党中央委員会総書記に選出された“習近平”は、同年12月4日に開催された党中央政治局会議の席上で、政治局常務委員の“王岐山”が提起する形で、中国共産党員に向けた綱紀粛正のための規定である「習八条」<注1>を発表した。習八条には視察旅行に関する明確な記述はないが、視察を名目とした劉淇一行のチベット観光旅行は、第1条の「随行団を質素にし、案内人を減らし、接待を簡素にし、出迎え・見送りの人々を動員したりしてはならない」および第8条の「倹約、節約に努めねばならない」に違反している。習八条は役人の公費旅行や公費飲食を厳しく禁じており、このために多数の高級ホテルやレストランが営業不振に陥ったことは広く知られる所である。

<注1>「習八条」の詳細については、2013年4月5日付の本リポート『「習近平の八カ条」が役人のムダ遣いにメス』参照。

背後に因縁の政争

 「トラ退治とハエ駆除」<注2>を標榜する習近平主導の反腐敗闘争は王岐山を切り込み隊長として、開始から3年半を経た現在も推進されているが、今回の劉淇一行のチベット観光旅行は王岐山が推進する反腐敗闘争に真っ向から逆らうものと見ることができる。それと言うのも、王岐山と劉淇は因縁の関係にあるからなのだ。

<注2>トラとは大きな腐敗を行う指導幹部を指し、ハエとは小さな腐敗を行う官僚たちを指す。

 2003年に中国でサーズ(SARS:重症急性呼吸器症候群)が蔓延した時、北京市でも多くの患者が発生した。当時の北京市長であった“孟学農”と中央政府の“衛生部長”であった“張文康”はサーズの防疫に無力で、サーズの発生状況を偽ったことにより免職になった。この時、孟学農に代わって北京市へ送りこまれたのが王岐山で、王岐山は北京市党委員会副書記、副市長、市長代理に就任し、2004年2月に正式に北京市長となった。

 当時、北京市のNo.1である北京市党委員会書記は劉淇であったが、劉淇はサーズに関する責任を全て孟学農に押し付けて、自分は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた。孟学農が更迭されたことでサーズ対策の矢面に立たされた劉淇は、従来通り対外的にサーズの発生状況を隠蔽することで、首都・北京のイメージに対する悪影響や外国人が逃げ出すのを防ごうとした。これに対して、北京市のNo.2である市長の王岐山は、サーズの発生状況を隠せば隠すほど、外部の憶測や猜疑心が増大し、人々の不安を煽ると考えて、劉淇と激しく対立した。

次ページ 暴露の狙いも藪の中