とんとん拍子に出世

 問題の釈学誠は、1966年10月3日に福建省“仙游県頼店鎮羅峰村”で生まれ、本名は“傅瑞林”、現在51歳である。祖母が仏教に帰依して出家、母親も敬虔な仏教徒であったことから、傅瑞林は12歳からお経を唱えるようになった。傅瑞林は1982年に15歳で出家して釈学誠となり、“福建仏教学院”から北京の“中国仏学院”へ進み、1988年に本科を卒業すると研究生になった。1991年に修士号を取得した後に、25歳で福建仏教学院の副院長に就任し、1995年に福建仏教学院院長となり、1998年に福建仏教協会会長になった。

 その後はとんとん拍子の出世を遂げ、2002年に“中国仏教協会副会長”兼秘書長、2003年に第10期“全国政治協商会議委員”となり、2005年に北京・龍泉寺の“住持(住職)”になった。2008年には第11期全国政治協商会議常務委員会委員に当選し、2013年に第12期、2018年の第13期も同委員に当選している。そればかりか、2015年4月に開催された中国仏教協会第9期全国代表大会において、釈学誠は49歳の若さで中国仏教協会会長に当選し、中国仏教界最高の地位に就いたのだった。

 釈学誠の2018年8月時点における肩書は、北京・龍泉寺住職、中国仏教界会長、中国仏教学院院長、第13期全国政治協商会議常務委員会委員、第13期“中国政治協商会議全国委員会民族和宗教委員会”副主任、“中国宗教界和平委員会”常務副主席、福建省仏教協会会長、福建仏教学院院長、福建省“莆田市”所在の“広化寺”住職、陝西省“扶風県”所在の“法門寺”住職、などとなっている。要するに、現在51歳の釈学誠は中国仏教界における“最高領導人(最高指導者)”であると同時に、押しも押されもしない高僧なのである。

 高僧とは、仏教の教理に精通し、徳の高い僧を意味する。釈賢佳と釈賢啓の2人は、中国仏教界を代表する最高指導者であり、高僧である釈学誠に反旗を翻し、色欲と物欲にまみれた釈学誠の実像を実名で告発したのだった。権力者が絶大な力を持つ中国で、仏教界の最高指導者である釈学誠を実名で告発することがいかに危険なことかは言わずもがなの話である。たとえそれが本来は一部の高僧に宛てたものであったとしても、釈賢佳と釈賢啓の2人にとってそれは、命を懸けて大勝負にでたものと言えよう。

 それでは、95ページからなる告発文である報告には何が書かれていたのか。報告には上述した表紙の次ページに目録があり、そこには釈学誠に関わる問題点が5章立てで詳細に書かれていたが、告発内容の要点は次ページの通り。