7月19日、邢台市と邯鄲市では終日にわたり豪雨に見舞われ、24時間の最大降水量は400mmを上回った。このため、邢台市では山岳地帯にある“朱庄水庫(朱庄ダム)”と“臨城水庫(臨城ダム)”が満水となり、放水が必須となった。邢台市政府は19日夜10時30分に“微博(マイクロブログ)”で20日午前3時に“泄洪(ダムの水門を開いて放水すること)”を行う旨を通知したと言う。当日は豪雨のため、停電も発生しており、大賢村の村人たちは“微博”を経由してダムの放水を知らせる通知が出されていることなど、誰一人知る由もなかった。

ダム放水の知らせ、届かず

 大賢村のトップである村共産党支部書記の“張戦歌”は20日午前1時50分に電話連絡を受け、ダムの放水が間もなく始まり、放水された水が七里河を流れ下るから、大至急、村人たちを安全な場所に避難させるように指示された。張戦歌は電話を終えるや否や、家を飛び出して“村口(村の出入り口)”に駆けつけて、七里河の様子を窺うと同時に、拡声器を使って、「村民の皆さん、直ちに起床して下さい。洪水が襲って来ます」と大声で叫び続けた。

 ところが、豪雨の雨音は拡声器の声を打ち消し、張戦歌の叫びは村民たちに届かなかった。7月20日にある村民がメディアの記者の問いに答えて、「今朝(20日)午前2時過ぎ、大賢村の水位はどんどん上昇していった。1時間も経たないうちに、水深は1m以上になり、ベッドは水に漂い、鶏や鴨は全て溺れ死に、自動車も水に漬かった」と語った。水深は午前5時ころには胸の高さにまで上昇したが、その後、水は徐々に引き始め、午前10時頃にはふくらはぎの高さまで後退した。

 政府系メディアが伝えたところによれば、洪水の発生後まもなくして、地元の民兵予備役および政府関係者で組織された救援部隊が主として村民の避難を誘導し、“武装警察”と軍隊が水の中に取り残された村民の救出に当たった。老人や子供を抱えて避難したくても動けない村民たちは、政府の役人や武装警察官によって住居から背負われて救出され、高台にある道路上へ移動させられた。なお、20日午前10時頃、大賢村の出入り口には数名の地元政府の幹部が村民たちを促して安全地帯へ移動を開始し、大賢村の2000人超の村民たちは昼の12時半頃までに全て安全地帯への避難を完了したとも伝えた。