7月1日、北京大学卒業式で行われた張維迎教授の講演は、SNSにアップされるや即座に削除された。写真は2011年のダボス会議に出席した張氏(写真:AP/アフロ)
7月13日、2010年にノーベル平和賞を獄中で受賞した“劉暁波”氏が多臓器不全により亡くなった。劉暁波は2009年12月に“扇動顛覆国家政権罪(国家政権転覆扇動罪)”により懲役11年の判決を受け、遼寧省“錦州市”の“錦州監獄”で服役していた。彼は今年5月に発病したので検査した結果、肝臓がんの末期であることが判明し、特別措置により6月末に遼寧省瀋陽市の“中国医科大学附属第一医院”へ移送されて治療を受けていた。
劉暁波は2008年に中国に大幅な民主化を求める『“零八憲章(2008年憲章)”』を主体となって起草したことで逮捕され、人生で4回目となる監獄生活を送っていたのだった。劉暁波が零八憲章で提起したのは「自由、人権、平等、共和、民主、憲政」の基本理念であったが、その中で最も重視したのは自由であった。そこには言論、出版、信仰、集会、結社などの自由が含まれていた。
劉暁波の死亡より12日前の7月1日、中国を代表する“北京大学”で学部に相当する“国家発展研究学院”の卒業式が“北京大学百周年記念講堂”で行われ、教員を代表して著名な経済学者である教授の“張維迎”<注>が「自由は一種の責任である」と題する講演を行った。この内容が国家発展研究学院のSNS“微信(WeChat)”に掲載されると、即座に当局によって削除されたのだった。微信から講演内容が削除された理由は何だったのか。そこには真の愛国者である劉暁波が一貫して主張していた自由の必要性が、経済学者の視点から述べられていたのだった。
<注>張維迎:1959年に陝西省で生まれる。中国の“西北大学”卒業後、修士課程に進み、英国オックスフォード大学で博士号取得。北京大学教授、経済学者。
14分44秒に及ぶ同講演の模様は、動画サイト「YouTube」でも『“張維迎演講:自由是一種責任”』という題名で配信されているが、非常に興味深い内容を含むので、筆者の翻訳で以下の通り紹介する。
張維迎演講:自由是一種責任
演題:自由は一種の責任である (講演者:張維迎)
学生諸君 先ず皆さんの卒業をお祝いします。
“北大人(北京大学人)”は一種の光背であると同時に責任を意味します。それは特に我々のように苦難が深刻で、いやというほど蹂躙された民族に対する責任です。中華文明は世界最古の文明の一つであり、しかも唯一現在まで継続している古い歴史を持つ文明です。古代中国は輝ける発明創造を持ち、人類の進歩のために重要な貢献を行いました。しかし、過去500年、中国は発明創造の分野で取り立てて言うほどの物は何もありません。この点を数字で説明しましょう。
英国科学博物館の学者ジャック・チャロナーの統計によれば、旧石器時代(250万年前)から紀元2008年までの間に世界を変えた重大発明は1001項目生まれたが、その中で中国が産み出したものは30項目で、全体に占める比率は3%でした。こられ30項目の全てが1500年より前に生まれたもので、1500年より前に世界で生まれた重大発明163項目の18.4%を占めました。その中の最後の1項目が1498年に発明された“牙刷(歯ブラシ)”であり、明代で唯一の重大発明だったのです。1500年から後の500年以上の期間に全世界で生まれた838項目の重大発明の中に中国で生まれたものは1項目も無かったのです。
中国は過去500年、歴史書に載る発明がない
経済成長は新製品、新技術、新産業が絶えず出現することから生み出されます。古代の社会に有ったのは、農業、冶金、陶磁器、手工芸などの限られた職業だけでしたが、その中で農業は絶対主導的な地位を占めていました。現在、我々にはどれだけの職業が有るでしょうか。国際労働機関(ILO)が定めた『国際標準職業分類(ISCO)』によれば、輸出製品に限定しても、2桁コードの職業は97個、4桁コードの職業は1222個、6桁コードの職業は5053個有り、なおかつまだ絶えることなく増加しています。これら新しい職業の全ては過去300年のうちに創造されたものであり、新製品毎にその起源を遡ることができます。これら多くの新産業や新製品の中に、中国人が発明した新しい職業や重要製品は一つもありません。
自動車産業を例に挙げましょう。自動車産業は1880年代中頃にドイツ人のカール・ベンツ、ダイムラー、マイバッハなどが創造し、その後の一連の技術進歩を経て、1900年から1981年までの間に600項目以上の重要な発明が行われました。中国は現在世界一の自動車生産大国ですが、もし諸君が⾃動⾞産業に関する技術進歩の歴史を書くならば、そのリストには1000人以上の名のある発明家が掲載され、その中にはドイツ人、フランス人、英国人、米国人、ベルギー人、スイス人、日本人が含まれますが、残念ながら中国人は1人もいません。よしんば冶金、陶磁器、紡織などの17世紀より前に中国が先導していた古代の職業であろうとも、過去300年の重大発明や創造の中に中国人が産み出したものは1つもないのです。
私が特に強調したいのは、西暦1500年より前と西暦1500年から後は同じではないということです。1500年より前は、地球が様々な区域に分割されていて、区域間は基本的に封鎖状態にありました。一つの新技術がある地方で出現しても、その他の地方に対する影響は軽微で、人類全体に対する貢献は極めて限定的でした。たとえば、東漢の蔡倫は西暦105年に製紙を発明しましたが、中国の製紙技術は751年にようやくイスラム世界に伝わり、その300~400年後に西欧へ伝わったのです。私が小学校へ入学した頃、習字にはまだ“土盤(土製の皿)”を使っていて、紙は使えなかったのです。
但し、1500年から後に、地球は一体化を開始し、技術発明の速度が加速されたばかりか、技術拡散の速度も速くなり、一つの新技術がある地方で出現すると、非常に速く他の地方に導入され、人類全体の進歩に重大な影響を及ぼしたのです。たとえば、ドイツ人が1886年に自動車を発明すると、その15年後にはフランスが世界一の自動車生産国となり、さらに15年後には米国がフランスに取って代わって世界一の自動車生産国となり、1930年に至ると米国の自動車普及率はすでに60%に達したのでした。このため、1500年から後は、イノベーションの国家間における比較が可能となり、その優劣が一目瞭然となったのです。中国は過去500年において歴史書に載るような発明や創造が一つもありません。これは我々の人類の進歩に対する貢献はほぼゼロであることを意味しており、我々の祖先と比べてその差は大きいものがあります。
我々は自由と法治の逆を行った
私はさらに人口規模の問題についても強調しなければなりません。国家の規模には大小があり、国家間でどこの発明や創造が多いかで単純に比較すると、容易に誤解が生まれます。理論上から言うと、その他の条件を考えなければ、国家の人口規模が大きければ、イノベーションも多くなり、技術の進歩もより速くなります。また、イノベーションの比と人口の比は指数関係にあり、簡単な等比数列の関係ではありません。10年以上前、米国の物理学者ジェフリー・ウエストなどは、都市生活の中では、人類の発明・創造と人口の関係は5/4指数の拡大縮小規則に従うことを発見しました。もしある都市の人口が別の都市の10倍であるなら、発明・創造の総量は後者の10の5/4乗、すなわち17.8倍となるのです。
これから見れば、世界の発明・イノベーションに対する中国の貢献と中国の人口規模は全く比例をなしていません。中国の人口は、米国の4倍、日本の10倍、英国の20倍、スイスの165倍です。知識創造の指数拡大縮小法則に基づけば、中国の発明・創造は、米国の5.6倍、日本の17.8倍、英国の42.3倍、スイスの591倍でなければなりません。但し、実際の所は、近代500年の中で発明・イノベーション分野で中国の世界に対する貢献はほぼゼロで、米国や英国とは比較にならないばかりか、スイスの端数にも達していません。スイス人は手術用鉗子、電子補聴器、安全ベルト、整形技術、液晶ディスプレーなどを発明しました。中国人民銀行が人民元紙幣を印刷する際に使用する偽札防止用のインクはスイスの技術ですし、中国が生産する小麦粉の60~70%はスイスのビューラー社の機械で加工されています。
問題はどこに起因するのでしょうか。中国人の遺伝子に問題があるというのでしょうか。明らかにそれは違います。さもなければ、我々は古代中国の輝かしい実績を説明できません。問題は明らかに我々の体制と制度にあります。想像力は自由に依存します。それは思想の自由と行動の自由です。中国の体制が持つ基本的特徴は、人の自由を制限し、人の創造性を扼殺(やくさつ)し、企業家精神を扼殺することです。中国人が最も想像力を備えていた時代は、春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)と宋代(960年~1279年)でした。これは偶然ではありません。この2つの時代は中国人が最も自由な時代だったのです。西暦1500年より前は、西洋は明るくなく、東洋は暗かった。西暦1500年から後は、西洋の一部の国家が宗教改革と啓蒙運動を経て自由と法治に向けて一歩一歩動き始めたのに対して、我々はその逆を行ったのです。
もしグーテンベルグの印刷機が禁止されていたら
私は強調しなければなりません。自由は1個の分割できない統一体であり、心が自由でない時は、行動が自由であるはずはなく、言論が自由でない時は、思想が自由であるはずがないのです。自由があってこそ、創造があるのです。一つの例を用いて、この点を説明しましょう。現在では、食事の前に手を洗うことはすでに習慣となっています。しかし、1847年にハンガリーの内科医、センメルヴェイス・イグナーツは、医師と看護師に対し妊婦に接触する前に手を洗うことを提起しましたが、同業者の機嫌を損ねると同時に仕事を失ったあげく、精神病院で死亡しました。享年47歳でした。
イグナーツの観点は彼の産褥熱に対する観察に基づくものでした。当時彼がいた医院には2つの産室が有り、1つは金持ち用の産室で、専門の医師と看護婦が念入りに世話をしていましたが、これらの医師は絶えず子供を取り上げるのと死体の解剖を交互に行っていました。もう1つは貧乏人用の産室で、産婆が担当していました。彼は、産褥熱にかかる金持ちの比率が貧乏人の3倍であることを発見したのです。彼は、その原因は医師が手を洗わないことであると考えたのです。しかし、彼の見方は当時流行していた科学理論と相矛盾しており、彼も自分の発見に対して科学的に証明することができなかったのです。
人類の衛生習慣はどのように変わったのでしょうか。それは印刷機の発明と関わりがあります。1440年代、ドイツの企業家ヨハネス・グーテンベルグが活版印刷機を発明しました。印刷機は書籍と読むことの普及を促進しました。その結果、多くの人々が遠視であることを発見し、メガネに対する需要が生まれて爆発的に増大しました。印刷機の発明から100年後、欧州には数千社のメガネ製造業者が出現し、これによって光学技術の改革が起こりました。1590年、オランダのメガネ製造業者ジャンセン父子は幾つものレンズを1つの筒の中に重ねて置くと、観察する物がガラスを通して拡大されることを発見し、これが顕微鏡の発明につながりました。英国の科学者ロバート・フックは顕微鏡を用いて細胞を発見し、科学と医学に一大革命を引き起こしました。
但し、最初の顕微鏡は解析度が高くありませんでした。1870年代にドイツのメガネ製造業者カール・ツァイスが正確な数学公式に基づく斬新な顕微鏡を生産しました。まさにこの新しい顕微鏡の助けを借りて、ドイツ医師のロベルト・コッホなどの人たちが肉眼では見えない微生物細菌を発見し、ハンガリー医師のイグナーツの観点が正しかったことを証明したのです。こうして微生物理論と細菌学が確立されたのです。正に微生物学と細菌学の確立が、しだいに人類の衛生習慣を変え、人類の平均寿命を大幅に延長させたのです。
我々は想像してみましょう。もし当初からグーテンベルグの印刷機が使用を禁止されていたなら、あるいは教会や行政当局の審査を通過した読み物だけが印刷することを許されていたなら、読むことは普及せず、メガネに対する需要もさほど大きくならず、顕微鏡や望遠鏡は発明されなかったし、微生物学が確立されることはなかったでしょう。また、我々が消毒された牛乳を飲むことは不可能で、人類の平均寿命も30数歳から70数歳まで延びることはなかったでしょうし、宇宙空間の探索を夢見る必要はなかったのです。
自由の向上を持続できるかにかかっている
過去30数年、中国経済は世間の人が注目する成果を収めました。この成果は西側世界が過去300年間に発明・創造して積み重ねた技術的基礎の上に打ち立てたものであり、中国経済の高速成長を支えた様々な重要な技術や製品は全て他人が発明したもので、我々自身が発明したものではありません。我々は“套利者(利ざやを取る人)”に過ぎず、“創新者(起業家)”ではないのです。我々はただ他人が建てたビルディングの上に小さな楼閣を組み立てただけで、我々が“狂妄自大(尊大で傲慢)”になる理由はないのです。
ニュートンは30年の時間を費やして万有引力を発見しましたが、我々は3か月を費やすだけで万有引力の法則を理解することができます。もし私が3か月間でニュートンが30年を費やした道を走り抜けたと公言したら、諸君はきっとばかばかしいと思うでしょう。もし私がさらに反発してニュートンを嘲笑することを言おうものなら、その言葉は私があまりにも無知であると説明することになるでしょう。
私は常に「中国は世界の7%の“可耕地(耕作に適した土地)”を用いて、世界人口の20%を扶養する」と言っています。しかし、我々は「中国はそれをどうやって成し遂げているのか」と問う必要があります。簡単に言えば、それは大量に化学肥料を使っているからです。中国人の食品に含まれるほぼ半分の窒素は無機化学肥料から来ています。もし、化学肥料を使わないなら、半数の中国人は餓死するでしょう。窒素肥料の生産技術はどこから来たのでしょうか。それは100年前、ドイツの科学者フリッツ・ハーバーとBASF社の技術者カール・ボッシュが発明したもので、我々が発明したものではありません。1972年に米国大統領ニクソンが訪中した後、中国は米国と最初のビジネスを行いましたが、それは当時世界最大規模で、最も現代化された合成アンモニア・尿素製造プラント13基を購入したもので、その中の8基は米国のケロッグ社製品でした。
さらに50年、100年が経過して改めて世界の発明・イノベーション史を書く時に、中国は過去500年の歴史的な空白を変えることができるのかどうか。その答は、大体において、我々が中国人の享有する自由の向上を持続できるかどうかにかかっていると思えます。なぜなら、自由がありさえすれば、中国人の企業家精神と想像力を存分に発揮させることが可能であり、中国を一つのイノベーション型の国家に変えることができるからです。このため、自由を推し進め、守り抜くことは、中国の命運に関心を持つ国民全ての責任であり、さらに言えば“北大人(北京大学人)”全ての使命です。自由を守り抜けないなら、“北大人”の称号を名乗る資格はありません。皆さん、ご清聴ありがとう。
上記の講演で張維迎教授が述べたことは正論であり、決して間違っていない。彼は自由を推進し、それを守り抜いてこそ、真の意味で繁栄する中国が到来すると述べているのだ。中国がカネに物言わせた外国企業の買収や技術者引き抜き、さらにはハッキングなどを通じて、諸外国から高度技術を収得したとしても、地道な研究の基礎がない限り、さらなる発展は望むべくもないはずである。張維迎教授が言う通り、「自由なき繁栄」はあり得ないのだ。
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