
今年52歳の“朱暁娟(しゅぎょうえん)”の人生は、1992年の事件を境として、前半の26年間と後半の26年間で明暗を分けることになった。彼女は1966年に重慶市(当時は四川省重慶市)で最大の繁華街“解放碑”に生まれ育った。前半26年間は順風満帆で何の憂いもなかった。“重慶医科大学”を卒業した朱暁娟は、儲かっている国有企業の医院で看護士になった。その後、知り合った軍の将校“程小平”と結婚した朱暁娟は、解放碑に所在する“重慶警備区”の家族宿舎へ入居し、2人の間には男の子が誕生した。可愛い息子を得て、朱暁娟は最愛の夫と共に歩む明るい未来を夢見ていた。
ところが、後半の26年間で朱暁娟の人生は絶えず運命に翻弄され続けたのだった。1992年6月3日、夫の程小平が近くにある“労務市場(労働市場)”から1人の“保母(家政婦)”を連れ帰った。程小平は頻繁に出張していたので、朱暁娟が1歳3カ月の息子“盼盼(はんはん)”を育てるのを手伝わせるために家政婦を雇ったのだった。身分証によれば、痩せて小柄な家政婦の名前は“羅選菊”、年齢は18歳で、実家の住所は四川省“忠県”(現在は重慶市忠県)であった。羅選菊は朱暁娟の家に住み込みで家政婦として働くことになった。
羅選菊が住み込みで働き始めて7日目の6月10日、羅選菊が早朝8時頃に息子の盼盼を抱いて外出した。早朝に赤ん坊を抱いて出て行くのをいぶかしがった家族宿舎の守衛が、どこへ行くのかと羅選菊に声を掛けたところ、羅選菊は野菜を買いに行くと答えたというが、それを最後に羅選菊と盼盼の行方はようとして知れなかった。
大事な息子を羅選菊に連れ去られたことは、程小平と朱暁娟の夫婦にとって衝撃の出来事だった。程小平が得体の知れない家政婦を連れて来たから、こんな不幸な出来事が出来(しゅったい)したのだと、朱暁娟は程小平をどれほど責めたか分からないが、責めたところで連れ去られた盼盼は戻ってこない。悲しみに打ちひしがれた夫婦は盼盼を何としても探しだそうと決意した。
程小平・朱暁娟夫婦が最初にしたことは、羅選菊の身分証に記載されていた住所である四川省忠県へ赴き、彼女の実家を捜し出すことだった。やっとの思いで実家を探し当て、家族に羅選菊の消息を尋ねると、彼女は数年前に故郷を離れ、山東省の“寧津県”へ行ったという。そこで、朱暁娟夫婦は急いで山東省寧津県へ向かって羅選菊の居場所を訪ねたが、眼前に現れた羅選菊はあの息子を連れ去った家政婦とは似ても似つかない人物だった。この時、朱暁娟は、「あの家政婦は最初から私たち夫婦を騙すつもりで身分を偽って家に入ったのだ」とようやく気付いたのだった。その時から、朱暁娟夫婦の息子探しの旅が始まった。
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