話は中国のパンダ外交に戻る。2017年4月、フィンランドを公式訪問した習近平はニーニスト大統領との会見した際、パンダ2頭(雌・雄各1頭)をフィンランド中部のアフタリ動物園に15年間貸与することで合意に達した。また、翌5月に、デンマークのラスムセン首相が訪中した際、中国政府はコペンハーゲン動物園に2頭のパンダ(雌のマオスンと雄のホーシン)を15年間貸与することを表明した。これは中国の北極圏開発参入を認めることとの交換条件であると言われている。なお、フィンランド向けの2頭は2017年末、オランダ向けの2頭は2018年末に、それぞれ新築されるパンダ館の竣工後に両国へ移送される。

 これ以外に中国政府はインドネシア政府との間で、2016年8月にパンダの保護協力に関する合意覚書に調印しており、同年9月にタマン・サファリ動物園内に完成したパンダ館に貸与されるパンダ2頭(雌・雄各1頭)を受け入れる予定だったが、2頭のパンダは未だに中国から送られていない。インドネシアはパンダ貸与の代わりにコモドドラゴンを中国へ贈呈する予定となっている。

則天武后から天武天皇へ?

 3月4日付の韓国紙「中央日報」は、中国のパンダ外交は685年に唐朝の則天武后が日本の天皇へ雌雄1対のパンダを送ったのを起源とすると報じ、上述した3段階のパンダ外交を簡潔に説明した記事を掲載した。中国で唯一の女帝である則天武后(中国名:“武則天”、624~705年)が日本の天武天皇にパンダを贈呈した件については、2008年5月16日付の本リポート『「パンダ貸与」の意味するもの』を参照願いたいが、今から1300年以上前の685年にパンダが日本を懐柔する手段として日本の天皇に贈られていたと考えれば、そこにはロマンが感じられる。

 この話を中国で報じた記事によれば、「紀元685年10月22日の巳の刻(午前10時)頃、長安宮廷の護衛兵と2人の調教師が2つの赤い絹と花で飾った大きな獣の檻を持って快速の車に乗り、東へ向かって疾走した。一行は揚州(現在の江蘇省揚州市)から船に乗り、日本の遣隋使に随行して海を越えて日本に到着した」とあり、この記事の出所は「日本の“皇家年鑑(皇室年鑑)”」だという。「皇室年鑑」などという書物は存在しないし、竹がなければ生きて行けないパンダをいつ日本に着くか分からない船旅で運ぶなどということは物理的に不可能で、はっきり言って荒唐無稽な話と言って良いと思う。

 パンダが希少動物として珍重されて外交手段に活用されるようになったのは、中華民国総統“蒋介石”の夫人であった“宋美齢”が、第二次世界大戦中に米国が行った難民救済に感謝して、1941年に米国へ雌雄1対のパンダを贈呈したことに始まるという。今では、世界中の人々が愛するパンダは、「中華民族の偉大な復興」という中国共産党の政治理念を基礎に、2012年11月に中国の最高指導者(党総書記)となった習近平が打ち出した“中国夢(中国の夢)”の実現に必要不可欠な外交の手札となっている。そして、好むと好まざるとにかかわらず、それは大きな成果を上げているのである。