ところで、6月12日、上野動物園では雄パンダのリーリー(力力<中国名:比力>)と雌パンダのシンシン(真真<中国名:仙女>)の間に雌の赤ちゃんが誕生した。リーリーとシンシンは、2011年2月に来日し、シンシンは2012年7月5日に第1子となる雄の赤ちゃんを出産したが、赤ちゃんは肺炎のため生後6日目の7月11日に死亡した。このため、5年ぶりの赤ちゃんパンダ誕生は上野動物園にとって正に待望の出来事であった。

1972年から続く日中パンダ外交

 1972年9月29日に北京市で日本の田中角栄首相と中国の周恩来総理が共同声明に署名したことにより日本と中国の両国は国交を回復したが、これを「日中国交正常化」と言う。その国交正常化からわずか1カ月後の10月28日に日中国交正常化記念行事の一環として中国から贈られたのが2頭のパンダ、雌のランラン(蘭蘭)と雄のカンカン(康康)だった。ランランは1979年9月に死亡したため、1980年1月にホァンホァン(歓歓)が新たな花嫁として来日したが、カンカンは1980年6月に死亡した。ホァンホァンは1982年11月に来日したフェイフェイ(飛飛)との間に雄のチュチュ(初初)、雌のトントン(童童)、雄のユウユウ(悠悠)と3頭の子供をもうけた。

 1985年6月に生まれた第1子のチュチュは生後48時間で死亡、第2子のトントン(1986年6月生まれ)は2000年7月に14歳1カ月で死亡、第3子のユウユウ(1988年6月生まれ)は1992年11月に雄のリンリンと交換で北京動物園へ移送された。1992年11月に来日したリンリンは2008年4月に死亡した。なお、2003年12月から2005年9月まではメキシコ生まれのシュアンシュアン(双双)が上野動物園に滞在し、リンリンとの交配を試みたが失敗した。

 2008年4月にリンリンが死亡したことにより、上野動物園にはパンダが不在となったため、日本国内に後継パンダを要望する声が高まった。同年5月6日に来日した中国国家主席の“胡錦濤”は6日夜に行われた福田首相主催の非公式夕食会で、来日土産としてパンダ2頭を貸与する旨を表明して日中友好の証とした。これを踏まえて、2010年7月に北京市で、上野動物園を管轄する東京都と“中国野生動物保護協会”は東京都が2頭のパンダ(“比力”と“仙女”)を10年間にわたり、年間95万米ドルで借り受ける協議書に調印した。しかし、この直後の2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域で日本の巡視船から退去命令を受けた違法操業の中国漁船が逃走時に巡視船2隻と故意に衝突しては破損させる事件が発生した。海上保安庁は漁船の船長を公務執行妨害で逮捕して取り調べのために石垣島へ連行し、同漁船で船員を石垣港へ回航して事情聴取を行った。