中国大学入試、「不正厳罰法」お粗末適用の悲劇
腕時計摘発、メガネ没収…受験生の夢壊す“順法”監督官
6月7日と8日の2日間、中国では2016年の“普通高等学校招生全国統一考試(大学入試、略称:“高考”)”が行われ、全国で940万人が受験した。
教育情報サイトの“中国教育在線”が6月1日に発表した『2016年大学入試調査報告』によれば、大学入試の志願者数は、2008年に史上最大の1050万人を記録してから急激な減少に転じ、2015年には942万人になった。これは前年(2014年)比3万人の増加であったが、2016年は前年(2015年)比2万人の減少であった。
2016年大学入試の志願者数を地域別に見ると、河南省が最多で82万人、これに広東省の73.3万人、山東省の70.98万人が続いている。また、北京市、遼寧省、江蘇省などでは志願者が減少しているのに対して、広西チワン族自治区と四川省では志願者が増大している。北京市を例に挙げると、2016年の志願者数は6万1222人で、2015年より6000人以上減少した。北京市の2006年の志願者数は12.6万人であったから、2016年は2006年に比べて半減したことになる。北京市の志願者数は10年連続で減少している。
一方、大学入試の合格率は、1970年代に10%以下であったものが、1980年代には20%台、1990年代には30%台となり、2000年になると一気に50%台に上昇し、2010年以降は70%台に達した。ちなみに、志願者が942万人であった2015年の合格者数は700万人で、その合格率は74.3%であった。要するに、一定以上の成績を収めれば、大学には70%以上の確率で合格できることになり、大学の門は広くなったが、“北京大学”や“清華大学”を代表とする一流大学に合格しようとすれば、熾烈な競争を勝ち抜かなければならず、名門大学が狭き門であることに変化はない。
2016年は史上で最も厳しい“高考”
ところで、“高考”と呼ばれる大学入試は“文化大革命(1966~1976年)”終結後の1977年に再開されてからすでに30年の歴史を有するが、2016年大学入試は史上で最も厳しい“高考”と言われている。それは、『中華人民共和国刑法修正案(九)』(以下「刑法修正(九)」)が中国の国会に相当する“全国人民代表大会”の常務委員会で2015年8月29日に可決され、同年11月1日から発効したことに起因するのである。
中華人民共和国刑法の第284条には「盗聴や盗撮の専用機材を違法に使用して深刻な結果を招いた者を2年以下の懲役刑、“拘役(拘禁して労役に服せしめる刑罰)”、“管制(一定期間の保護観察)”に処す」と規定されているが、刑法修正(九)は第284条の後ろに「第284条の1」を追加したのである。刑法第284条の1の条文は以下の通り。
【刑法第284条の1】
法律が規定した国家試験中に、組織的な不正行為を行った者は3年以下の有期懲役あるいは“拘役”に処し、併せて罰金あるいは単に罰金を科す。情状が深刻な者は、3年以上7年以下の有期懲役に処し、併せて罰金を科す。
・他人が前項の犯罪を実施するために不正行為を行う器材を提供あるいはその他の協力を行った者は、前項の規定に基づいて処罰する。
・試験で不正行為を実施するために、他人に対して第一項規定の試験の問題や回答を違法に販売あるいは提供した者は第一項の規定に基づき処罰する。
・第一項規定の試験に他人に代わって参加あるいは自身に代えて他人に参加させた者は、“拘役”あるいは“管制”に処し、併せて罰金あるいは単に罰金を科す。
「刑法修正(九)」で厳罰化も…
上記から分かるように、「史上で最も厳しい“高考”」と言われる理由は、2016年大学入試が刑法第284条の1を含む刑法修正(九)の発効後に実施された最初の“高考”だったからに他ならない。中国では大学入試で多発する不正行為をいかに防止するかが長年の懸案であった。防止対策を実施し、取り締まりを強化しても、不正行為は一向に減少しないばかりか増加の一途をたどった。どうやっても全く改善が見込めないことから、不正行為の実行者を厳罰に処すための法制化が求められた結果、第284条の1が刑法修正(九)に盛り込まれたのであった。
刑法修正(九)が発効した2015年11月1日から2か月も経たない同年12月26日と27日の2日間に、2016年“全国碩士研究生招生考試(全国大学院入学試験)”が行われた。英語の試験は初日の26日午後から行われる予定だったが、試験開始の1時間半前に手書きの模範回答が大学院入試の専門サイトや“微信(ウィーチャット)”に掲示されていることが受験生からの指摘で判明した。英語試験の終了後に掲示された模範回答と問題をすり合わせたところ、何と両者は完全に一致し、英語の試験問題が事前に漏洩したものと判定された。
この事件は事前に大学院入試で不正行為が行われるという情報を入手していた湖北省“荊州市公安局”が、試験当日の12月26日11時頃、無線伝送装置を使って模範解答を発信した“王某”を逮捕したことを足掛かりに、4か月間の捜査を経て事件の解明に成功した。それは、2011年に大学入試で不正行為を行った罪で服役したことのある“李某”が、大学入試問題を印刷する河南省の印刷工場に勤める“羅某”に、2015年末に実施される2016年大学院入試問題を盗み出させたことに端を発する。
羅某に2016年大学院入試問題と引き換えに200万元(約3200万円)を支払った李某は、入手した大学院入試問題を事前に声を掛けていた複数の大学院入試の“培訓機構(予備校)”に販売して巨額の利益を得たし、試験問題を買い入れた予備校は模範解答を作成した上で受験生に対して特別講座を開講して暴利を稼いでいたのだった。事件が解明されたことで、11か所の予備校が取締りを受け、600人近い受験生が大学院入試の成績取り消しと数年間の受験停止措置の処罰を受けることになっている。
上述した大学院入試問題漏洩事件は刑法第284条の1適用の第1号事件となり、逮捕された李某、羅某、王某などで構成される組織犯罪グループは同法の適用を受けて裁かれる予定である。
「その他の物品」も詳細明記
さて、話は2016年大学入試に戻る。従来は大学入試会場に張り出される『“考場規則(試験会場規則)”』には、「2B鉛筆、黒インクの万年筆あるいはサインペン、直線定規、コンパスなどの試験用品を除いて、その他いかなる物品も試験会場へ持ち込んではならない」と書かれていて、「その他の物品」に関する明確な規定はなかった。しかし、今年は刑法第284条の1が発効したことを受けて、「その他の物品」についても、「腕時計を含む時計、修正液、修正テープ、文房具ケース、その他試験用品ではない物は試験会場への持ち込みを禁ずる」と詳細が明記された。試験会場への持ち込みを禁じられた「その他試験用品でない物」には、当然ながら各種の無線通信機器(スマホなどを含む)やメモリ機能付き装置(IC腕時計・腕輪・メガネなど)が含まれる。なお、各試験会場の入り口に設置された安全検査所では金属探知機による検査が行われ、身体や所持品だけでなく靴底までもが厳しくチェックされた。
そうした厳しい検査体制の下で実施された2016年大学入試であったが、上述した試験会場規則を金科玉条として愚直に守ったために受験生の人生が狂わされる不幸な事件が発生した。中国のメディアが報じた2つの事件を紹介すると以下の通り。
「うっかり腕時計」で取消、メガネの没収も
【その1】
(1)福建省“福州市”にある“閩侯(びんこう)県第三中学(日本の高校)”3年の“小雲”(通称)は、2016年大学入試を試験会場となった自分の学校で受験した。試験2日目の6月8日、午前中の試験を終えた小雲は、学校に近い自宅へ戻り、昼食後に短時間の昼寝を取った。午後の試験開始に間に合うように起きた小雲は試験会場へ戻り、会場入り口で安全検査を受けてから自分の受験番号の席に着いた。午後の試験が始まって20分以上が経過して英語の聴力問題が終了した頃、小雲は自分の左腕に腕時計がはまっていることに気付いた。午前中の試験で外していた腕時計を昼寝した際にいつもの習慣ではめてしまい、うっかりして腕時計をしたまま試験会場へ入ってしまったのだった。
(2)左腕の腕時計に気付いた小雲は速やかに試験監督官にその旨を報告して、腕時計を監督官に手渡し、試験をそのまま受け続けた。しかし、午後の英語試験が終了した後、大学入試関係部門から父親の“卞(べん)”さんに呼び出しの電話があり、卞さんが試験会場の閩侯県第三中学へ出向くと、腕時計を試験会場へ持ち込んだことにより、娘の小雲の英語試験の成績を取り消すとの通告を受けたのだった。小雲の8日当日の服装は半袖であり、午後に試験会場へ入る前に安全検査を受けたはずだが、係官は小雲の腕時計に気付くことなく見逃していた。うっかりして腕時計を外し忘れた小雲も悪いが、小雲の腕時計を見落とした安全検査の係官に責任はないのか。係官が小雲に注意を促していれば、試験会場に入る前に早雲は腕時計を外していたはずである。しかし、英語試験の成績取り消しは決定事項で、これによって小雲が今年の大学入試で合格する夢は消え去ったのだった。
【その2】
(1)安徽省“池州市”に属する“石台県”の大学受験生である21歳の“圓圓(えんえん)”(仮名)にとって2016年大学入試は3回目の挑戦であった。2年前の受験では“大専(高等専門学校)”に合格したが入学せず、昨年は3校に合格したが志望通りではなかったので辞退した。今年こそは志望の大学に合格して、彼女を志望通りの大学へ行かせるために苦労している両親を喜ばせたかった。6月の大学入試が近づいたある日、圓圓は試験問題が少しでも良く見えるようにプラスチック製で黒縁のメガネを“呉良材眼鏡店”で購入した。メガネは度数“400度(日本式に言えば屈折率-0.4)”の一般的な物で、価格は300元(約4800円)であった。
(2)6月7日の大学入試初日の午前中(9時~11時30分)は“語文(国語)”の試験であった。試験の開始前に受験生全員に対する金属探知機による身体、所持品、靴に対する安全検査が入念に行われた。安全検査を終えて受験生が個々の受験番号の場所に着席し、9時から試験が開始された。9時28分に試験監督官が電波探知機を使って各受験生の周辺をチェックしたが何もなかった。それから1時間後に監督官は改めて電波探知機によるチェックを開始したが、10時22分に2号受験生(圓圓)のところで探知機が振動した。監督官は2号受験生のメガネを検査した後、すぐにメガネを2号受験生に返した。また、10時24分に24号受験生のところでも探知機が振動し、監督官はそのメガネを検査してすぐに返した。
(3)電波探知機が受験生2人のメガネに反応して振動したことは主任監督官へ報告されたが、万一の責任を回避したい主任監督官は2人のメガネを慎重に検査する必要があると判断し、2人のメガネを持って来るように指示を出した。この結果、10時38分、検査を理由に2号受験生と24号受験生はメガネを強制的に取り上げられ、メガネは主任監督官の所へ届けられた。メガネを検査したところ何の問題も発見されず、検査を終えたメガネが2人に戻されたのは11時6分であった。すなわち、2人の受験生は約30分間にわたってメガネ無しでの受験を余儀なくされたのだった。
(4)度数400度のメガネを使っている圓圓にとって、メガネ無しの受験は苦痛そのものであった。問題が正確に読めなければ、正確な回答ができない道理で、メガネ無しは彼女本来の学力を発揮することに大きな影響を与えたことは間違いない。なんとか大学入試を終えたものの、この初日の事件で大きく傷ついた圓圓は意気消沈して自宅に閉じこもった。彼女の家族は石台県の大学入試担当部門に試験監督官による不当な対応を告発した。事態を重く見た石台県政府は調査チームを発足させて、監視カメラの映像を分析すると同時に3人の試験監督官に対する聞き取り調査を実施した。
(5)6月12日、石台県の調査チームは「試験監督官の電波探知機の操作には問題なかったし、電波探知機が振動した後の対応も関係規定通りで問題なかった」と調査結果を発表した。受験生の圓圓も問題なかったが、試験監督官も問題なかったというなら、圓圓にとっての貴重な失われた30分はどうなるのか。その損失は誰がどのように補償してくれるのか。責任逃れしか考えていない石台県政府は、圓圓の救済を全く考えていない。
何のための厳罰化か
「史上で最も厳しい“高考”」は上記のような弊害を残した。【その1】について言えば、故意でなく、うっかりして腕時計を外すのを忘れた小雲を救済することはできなかったのか。安全検査の係官が小雲の腕時計を見落とした責任の追及はなされないのか。【その2】について言えば、電波探知機が振動したとしても、そのまま2人の受験生に試験を受けさせ、試験が終わってからメガネの検査を実施するのが本来の筋ではなかろうか。今回の大学入試の結果はまだ判明していないので、圓圓がどうなったかは分からない。
いずれにせよ、小雲には今年の不運を乗り越えて来年再挑戦して欲しい。また、圓圓は今年の結果次第だが、もしだめでも諦めることなく、第4回目の大学入試で志望校への入学を現実のものとして欲しいものである。
景気低迷による経済不況に直面している中国では大学卒業生の就職難は深刻な状況にあり、「大学は出たけれど」が現実のものとなっている。大学志願者の合格率が10%以下であった1970年代や20%台であった1980年代は、大学卒業生の価値は極めて高いものがあったが、現代では大学卒業の意味は大きく変質し、大学卒業生はありきたりの存在と化している。それでもなお、940万人もの若者が参加するのが中国の大学入試なのである。
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