中国卓球女子代表監督、カジノ賭博で職務停止
孔子の子孫で世界三冠、平野美宇への借りは返したが…
中国卓球女子代表監督の職務を停止された孔令輝。写真は2017年アジア選手権のもの(写真:ロイター/アフロ)
4月に中国江蘇省の“無錫市”で開催された「2017年アジア卓球選手権(Asian Table Tennis Championships)無錫大会」で、17歳になったばかりの平野美宇選手は女子シングルスで優勝を果たし、世界を驚かせた。日本の平野美宇(当時世界ランク11位)は17歳の誕生日であった4月14日に行われた女子シングルス準々決勝で、世界ランク1位の“丁寧”を3-2で撃ち破った。これに勢いを得た平野美宇は、4月15日に行われた準決勝で世界ランク2位の“朱雨玲”を3-0で撃破し、4月16日に行われた決勝では世界ランク5位の“陳夢”を11-9、11-8、11-7のスコアで圧勝して優勝を勝ち取ったのだった。
日本選手がアジア卓球選手権で優勝したのは、1996年の小山ちれ<注1>以来21年ぶりの快挙であり、卓球王国を自認する中国にとっては正に屈辱の敗戦だった。中国が誇る世界ランク1位、2位、5位の3選手が弱冠17歳の日本人選手に完敗を喫したのだ。中国人でない第三国の選手がアジア卓球選手権大会で優勝したことを、国際卓球連盟(International Table Tennis Federation, 略称:ITTF)はそのホームページに「平野美宇は中国の独占を打破し、世界を驚かせた」と述べて褒めたたえた。
<注1>中国上海市出身の卓球選手で、中国名:何智麗、1987年世界卓球選手権ニューデリー大会女子シングルス優勝、1989年来日し、1992年に日本国籍取得。
卓球王国を率いる監督が…
試合後のインタビューに答えた中国・卓球女子チーム監督の“孔令輝”は、「平野美宇は試合を支配し、彼女の技術は我々よりも先を行っていた。平野美宇が我々のトップ選手3人を打ち破って3連勝したのは彼女の能力の証明であり、我々は今後彼女の強いところをよく研究しなければならない」と述べて完敗を認めると同時に、「平野美宇は中国卓球界にとって最大の脅威である。以前の福原愛は脅威ではなかったが、“平野是中国最大敵人(平野は中国にとって最大の敵である)”」と言明したのだった。
その中国が宿敵である平野美宇を打ち破ってアジア卓球選手権の意趣返しを行う機会はすぐに到来した。それは5月29日(月)から6月5日(月)まで、ドイツのデュッセルドルフで開催された「2017年世界卓球選手権(2017 World Table Tennis Championships)デュッセルドルフ大会」であった。卓球王国・中国の名誉にかけて平野美宇打倒を標榜して意気揚々とデュッセルドルフへ乗り込んだ中国・卓球女子チームであったが、そこには想像だにしなかった障壁が待ち構えていたのである。
2017年世界卓球選手権デュッセルドルフ大会の開幕日、5月29日付の香港メディアは次のように報じた。
“中国国家乒乓球隊(中国国家卓球チーム)”女子チーム監督の孔令輝は先頃、貸付金の返済を求めるシンガポールの高級ホテル「“濱海湾金沙酒店(Marina Bay Sands)”」(以下「金沙酒店」)により“香港高等法院(高等裁判所)”へ訴えられた。金沙酒店の告訴状によれば、被告の孔令輝は金沙酒店傘下にあるカジノの顧客であり、双方は2015年2月19日付で融資契約を締結し、同日に孔令輝は100万シンガポールドル(SGD)(約8000万円)を借り受けた。そのうちの90万SGDはチップで受け取り、残りの10万SGDは“頂級玩家(Top Player)”<注2>の資格を獲得するための費用であった。ところが、現在に至るまでに孔令輝が返済したのは54.5万SGD(約4360万円)だけで、45.5万SGD(約3640万円)が返済されていない。このため、金沙酒店は孔令輝を香港高等法院へ告訴した。
<注2>“頂級玩家”は金沙酒店のカジノにおけるVIP資格で、10万SGD相当の現金、チップ、小切手などを預託することで獲得できる。
なぜ香港で?
なお、後に判明したところでは、本件の原告は金沙酒店ではなく、金沙酒店の娯楽場を経営するMarina Bay Sands Pte. Ltd.(以下「Marina」)であるという。ところで、ここで疑問なのは、Marinaが本件の訴訟を中国国内の裁判所ではなく、香港の裁判所に提起したのはどうしてかということである。この点について、中国の某弁護士は、「中国の法律では“賭債(ばくちの借金)”を認めておらず、たとえ中国国内で賭博場が訴訟を提起しても、受理されず、融資契約は無効と判断される。このため、金沙酒店は孔令輝が香港に財産を持っていることを知っているか、あるいは、香港で訴訟を起こせば、その影響により孔令輝が残金を返済せざるを得なくなると考えた可能性が高い」と述べている。恐らく、この見解は正しいものと思われるが、とにかく訴訟が提起されたのは香港の裁判所であった。
さて、Marinaが香港高等法院へ孔令輝に対する訴訟を提起したとの情報は、その日のうちにデュッセルドルフにいる孔令輝の許へ届いた。これに肝を冷やしたのは孔令輝だった。同日の夜10時26分、孔令輝は4年間も使っていなかった中国版ツイッターの“微博(Weibo)”を通じて声明を発表した。その内容は以下の通り。
ネットで弁明も、帰国命令
声明:本日、メディアが次々と私がシンガポールのカジノに借金があるとのニュースを報じていますが、ここに関連状況について以下の通り表明します。
(1)2015年2月、私は関連組織部門の同意を得て、“春節放假(旧正月休暇)”の4日間を利用して、父母および親戚・友人を帯同してシンガポールへ旅行に行きました。宿泊したホテルの階下にはカジノがあり、親類・友人が遊びに行ったので、私も傍らで見ていました。この間に私は彼らがチップを賭けるのを手伝って、私の個人情報を残したのです。
(2)本日、メディアがこの事を報じた後、私はまず最初に当時現場にいた親戚・友人に電話を掛けて、あの時何があったかを問いただしたところ、当時誰かとカジノの間に発生した債務のもめ事が未だに終わっておらず、それが私を訴訟に巻き込んだことが判明しました。私はすぐにもカネが足りなかった人に名乗り出てもらい、事実を明らかにさせると同時に、法律の助けを借りて自分を守る権利を保留します。
(3)現在は正に世界卓球選手権の期間中であり、この事件の発生がチームにマイナスの影響を与えるのではないかと不安に思いますが、どうか皆さん信じてください。私と私のチームは力を合わせて一切の妨害を排除し、今回の世界卓球選手権に全力を尽くし、祖国の栄誉を勝ち取るために引き続き努力します。
孔令輝の懸命な弁明にもかかわらず、翌日の5月30日に“中国乒乓球協会(中国卓球協会)”は同協会の公式ホームページに「孔令輝監督の職務一時停止」に関する通知を発表した。その内容は以下の通り。
中国卓球協会はメディアから孔令輝の訴訟に関する状況を知った後、直ちに孔令輝に連絡を取って状況を把握した。本人がメディアの関連報道は事実であると述べていることに基づき、孔令輝の関連行為はすでに国家公務員の管理関連規定と規律要求に甚だしく違反していると考えられる。中国卓球協会は、孔令輝に対して中国卓球女子チーム監督の業務を一時停止し、深く反省して、直ちに帰国の上、さらなる調査と処分を受け入れるよう求める決定を行った。
中国卓球協会は運動員、コーチおよび職員による社会道徳規範に違反するいかなる行為に断固反対する。孔令輝の行為に対してはさらに詳細な調査を行い、関連規定に基づいて厳粛に処分する。また、本件を深刻な警告と教訓として、運動員やコーチに対する教育管理、養成、チームの良好な思想方法と道徳イメージの確立を強化するものである。
中国卓球協会 2017年5月30日
ところで、孔令輝とはいかなる人物なのか。その経歴は以下の通り。
世界三冠、孔子の子孫、問題児
【1】孔令輝は1975年10月に黒龍江省“哈爾濱市(ハルビン市)”で生まれた、今年41歳。6歳で卓球を始めた孔令輝は、1986年に11歳で黒龍江省卓球チームに選出され、1988年に13歳で国家卓球青年チームに選出された。1991年に16歳で国家卓球チームのメンバーに選出された孔令輝は、同年に行われた全国卓球選手権大会で優勝し、国家代表として華々しくデビューした。その後は、1995年の世界卓球選手権で男子シングルス:優勝、同年の卓球ワールドカップで男子シングルス:優勝、2000年のシドニーオリンピックで男子シングルス:優勝を果たし、世界卓球選手権、卓球ワールドカップ、オリンピックの男子シングルスで優勝し、三冠を達成した。こうして中国卓球界に輝かしい記録を残した孔令輝は、2006年に20年間の選手生活から引退した。引退後、孔令輝は中国卓球女子チームのコーチに就任し、2013年からは中国卓球女子チームの監督に就任して現在に至っている。
【2】孔令輝はその姓からも分かるように“孔子”の子孫である。現在生きている孔子の子孫は世界中に300万人以上おり、中国国内には250万人以上いるというが、孔令輝はそのうちの1人である。孔子の家系図である『“孔子世家譜”』は孔子生誕2560周年の2009年に改訂版が完成したが、卓球で世界にその名を轟かせた孔令輝はすでに『孔子世家譜』に掲載されているという。『孔子世家譜』に名前が載っている最も新しい世代は、孔子から見て第83代目であるが、孔子の一族は世代毎に名前の先頭に来る文字が決められていて、第75代目は「祥」、第76代目は「令」、第77代目は「徳」となっている。従い、孔令輝は孔子の第76代目の子孫ということになる。
【3】孔子は「八徳(仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌)」を重んじたが、孔子の第76代目の子孫である孔令輝は、八徳には無関心だったようである。2006年には所有する高級車ポルシェで酒酔い運転してタクシーと衝突したが、国家代表を理由に不問にしてもらった過去を持つし、2011年には酔っぱらってガードマンともめ事を引き起こして裁判沙汰になっている。また、2014年には真夜中に若い女性との“車振(車中の性行為)”をメディアにスクープされている。2016年10月には独断で世界ランク2位の“劉詩雯”を試合出場停止処分にしたことが大きな問題となり、その管理能力に疑問符が打たれた。言ってみれば、孔令輝は中国卓球界における問題児として知られていたのである。
さて、現在、孔令輝が所有する車はポルシェ・ボクスター(Porsche Boxster S)で、その価格は110万元(約1800万円)であるという。社会主義市場経済を建前とする中国で卓球の国家女子チームの監督が、どうしてこのような高級車を所有できるのか疑問だが、孔令輝が裕福であることは間違いのない事実である。今回のMarinaによる香港高等法院への訴訟提起に対して、孔令輝はカジノでは親戚・友人が賭けるのを見ていただけで、手助けはしたものの自身は賭博を行っていないと弁明している。しかし、Marinaとの間で交わした融資契約には孔令輝の名前が明記され、恐らくサインもあるだろうから、孔令輝自身が賭博を行ったことは間違いのない事実だろう。
それならなぜ、孔令輝はMarinaから融資を受けた100万SGDの残金45.5万SGD(約3640万円)を返済しないまま放置したのか。45.5万SGDは人民元では約224万元であるが、孔令輝にとっては返済できない金額ではない。この理由について、中国のネットユーザーは、中国の外貨準備高は2017年5月末時点で3.19兆ドルと2011年12月以来の低水準にあり、2016年末に中国の中央銀行である“中国人民銀行”が個人の年間外貨購入枠を5万米ドルに制限したことが原因ではないかと述べている。但し、真相は分からない。
残金返済も、復帰の道は険し
なお、6月2日付の香港紙「星島日報」によれば、6月1日までに孔令輝は一緒にシンガポールへ旅行した友人と交渉した後、別の友人を通じてMarinaに対して残金に利子と弁護士費用を加えた約50万SGD(約4000万円)を支払ったいう。上述した外貨規制をどのようにくぐりぬけて50万SGDもの大金を工面できたのか。とにかく、返済を受けたMarinaは、弁護士を通じて香港高等法院への訴訟を取り下げた模様である。
Marinaは孔令輝に対する訴訟を取り下げたが、だからと言って、孔令輝が中国卓球女子チームの監督に復帰できる可能性は極めて小さいとメディアは報じている。2017年世界卓球選手権ドイツ大会から孔令輝が急きょ帰国したことにより中国卓球女子チームの臨時監督には、ベテランコーチの“李隼”(53歳)が就任した。当初は突然の監督交代に女子チームの選手たちに動揺はあったものの、それが選手たちに危機感と責任感を呼び起こし、宿敵の平野美宇を打ち破ってリベンジを果たし、シングルス、ダブルス共に優勝を獲得したのだった。
最終競技結果は以下の通り。
【女子シングルス】優勝:丁寧、2位:朱雨玲、3位:平野美宇
【女子ダブルス】優勝:丁寧・劉詩雯、2位:“陳夢”・朱雨玲、3位:伊藤美誠・早田ひな
中国のスポーツを統括する“中国国家体育総局”は今回の事件に激怒しているとのことで、今後、孔令輝に対してどのような処罰が下されるか、中国国民はその動向を注視している。
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