陸慷報道官が言及したように、中国国内で自分のスピーチが波紋を巻き起こしたことを知った楊舒平は、中国最大のソーシャルメディアである“微博(Weibo)”を通じて弁明を行った。その内容は以下の通り。

 「今回のスピーチがもたらした反響は私の予想を大きく超えて、不安を感じています。ここに以下の通り事態を説明すると共に謝罪する次第です。私は自分の祖国と故郷を深く愛していますし、国家の繁栄発展を深く誇りとしています。また、今後自分が国外で学んだ事を活かして中国文化を発揚し、国家のために積極的に貢献したいと考えています。スピーチは、自分の留学体験を卒業生の仲間と分かち合う目的だけのもので、国家および故郷を否定し、貶める積りは全くありませんでした。ここに深く謝罪すると同時に衷心より皆さまのご理解を賜りたく。今後は今回の件から学んだ教訓を活かす所存です。また、私のスピーチのさらなる分析、ひいては人身攻撃を止めていただくよう希望します。ありがとうございます」

 楊舒平は米国留学を通じて、彼女が米国という国と社会に対して感じた素直な気持ちを卒業スピーチで述べたのだった。しかし、彼女が中国という一党独裁の専制国家の国民である以上は、自由と民主主義で構成された新鮮な空気に言及することはタブーであり、越えてはならないレッドゾーンであったのだ。

亡命した学長はスピーチを称賛

 彼女が学んだメリーランド大学は、「米国の軍系大学(Militarized Universities in America)」の第1位に位置づけられ、CIAなどの米国情報機関と緊密な関係にあると言われている。一方、メリーランド大学と中国との関係は1979年から始まり、同大学に設立されたOffice of China Affairs(中国事務弁公室)を通じて、累計で1万人以上の中国政府の官僚や大学管理者が研修を受けているという。但し、これを裏側から見れば、中国事務弁公室を通じて、米国が中国における情報活動を強化していることにつながるのである。

 文頭で、メリーランド大学学長の“Wallace D. Loh(陸道奎)”と述べた。Loh学長は1945年に中国・上海市生まれで、世が世なら「上海のDonald Trump」と呼ばれたであろう上海の大地主の息子であった。1949年10月に中華人民共和国が成立したことで、Loh学長の一家はペルーへ政治亡命を果たし、ペルーでの悲惨な生活を経て米国へ移り住んだのである。そうした経歴を持つLoh氏がメリーランド大学の学長であり、今回のスピーチ事件がLoh学長が主導する卒業式の中で発生したことは何か関連があるのだろうか。

 なお、メリーランド大学は楊舒平のスピーチについて声明を発表したが、その要点は下記の通り。

 楊舒平は我が校の優等生であり、委員会が5月21日の卒業式でスピーチを行う卒業生として選出した。彼女はメリーランド大学で学べたことの喜びを表明する機会を得て、自身の経験に基づいて留学を通じて感じたことを卒業生たちと分かち合ったのである。メリーランド大学は、楊舒平が彼女の観点と独自の見解を分かち合う権利を持つことを支持するのを誇りとすると同時に、彼女が卒業式で行ったスピーチを称賛するものである。