数か月後、胡明道が楊守法の家を訪ねて来て、「あんたはエイズに感染している」と通告した。四里庄村にはエイズに感染した者が多く、当時もエイズ感染は低水準ながら流行が続いていたので、楊守法は胡明道の言葉を何らの疑問を抱くことなく素直に受け入れた。しかし、胡明道が去った後に緊張が解けた楊守法は心の張りを失って落ち込み、「死ねばそれまで」と自分に言い聞かせたのだった。1992年頃、鎮平県では闇の売血が盛んに行われ、採血に使う注射針が使い回しされたことにより、多数の貧困な農民たちがエイズに感染した。楊守法の記憶によれば、1992年頃、超過出産による「一人っ子政策」違反の罰金を支払うために家計が逼迫(ひっぱく)したことから、楊守法は一度だけ売血を行ったことがあった。血液は大きな袋1個が50元(約850円)だったが、楊守法は一度に袋2個分も採血され、その量の多さに驚いて、2度と売血には行かなかった。楊守法はそのたった1度の売血で不運にもエイズに感染したのだと理解した。

感染通告、恐怖、無気力、離婚…

 エイズ感染の通告を受けた後、楊守法は幾度も自殺を考えたし、心中は常に恐怖に打ちひしがれていた。それ以前の楊守法は至って健康で病気一つしたことが無かったが、通知を受けてからは1日働くと全身に痛みを感じるようになった。楊守法はエイズ感染の事実を家族に告げることができなかった。当時すでに学校を中途退学していた長女と長男は妻と一緒に四川省へ出稼ぎに行っていた。次男は四里庄村に残って学校へ通っていたが、2006年に学校を中途退学して母と姉兄がいる四川省へ出稼ぎに行ってしまった。

 エイズ感染を告知されてからの楊守法は農業を止めて無登録の輪タク<注>を始めたが、気力がないから仕事にも身が入らず、毎週必要とする生活費15元(約260円)すら稼ぐことができなくなった。その頃には楊守法がエイズ感染者(HIV保菌者)であることは村の公然の秘密と化し、村人たちが群れている場所に楊守法が顔を出すと、人々は彼を避けて四散するようになった。こうした事が度重なると、楊守法は親類や友人との付き合いを断ち、村の冠婚葬祭にも参加せず、家に閉じこもるようになった。

<注>「輪タク」とは、自転車の後部に客席を取り付けた営業用の三輪車。

 そうこうする内に、楊守法のエイズ感染は四川省にいる彼の妻の知る所となり、2010年に妻は“鎮平県人民法院(裁判所)”へ離婚訴訟の申し立てを行ったが、裁判所は楊守法が病気であることを理由に保留とした。2011年7月に再度離婚訴訟を申し立てた妻は、裁判で「自分は“人販子(人身売買業者)”に誘拐され、鎮平県へ売られて楊守法と結婚させられた。結婚後は双方に何の感情もなく、2004年からずっと別居生活を送っている」などの理由を述べ立てた。楊守法は裁判には一度も出席しなかったが、最終的に裁判所は離婚を認めた。後に妻が語ったところでは、彼女が人身売買業者に売られたというのは嘘で、実際は鎮平県には従兄(いとこ)に連れられて来たし、楊守法との関係も決して悪いものではなかった。全ては離婚するための方便だった。離婚が成立すると、楊守法と子供たちとの関係は次第に疎遠になり、そのうちに連絡は途絶えた。楊守法は全く一人ぼっちになったのだった。