【8】高岩の追悼式には多くの人々が参加したが、最も関係が深かった瀋陽は姿を見せなかった。1995年度中文系の学生70人余りは、瀋陽が最も関係が良かったのは高岩であり、瀋陽にとって高岩は最も優秀な門下生であり、自ら学習委員に任命し、教員用通勤バスにも乗る許可を与えるなどしたことを知っていた。それにもかかわらず、“恩師”という身でありながら、高岩の追悼式に顔も出さないとは、瀋陽は「礼儀」をわきまえていないのかと人々は憤りを覚えたのだった。

【9】高岩の死去から20年間、瀋陽は教授という立場で、神聖な講義の場で学生たちに、「かつて自分のせいで1人の女子学生が死んだという噂があるようだが、それはデマであり、本当の原因は彼女が精神病だったからだ」と述べていた。また、2016年に出版された『甲子学者治学談』という書物の中に掲載された瀋陽の回顧録『“一直在路上―六十年人生風景一瞥(ずっと歩いて来た六十年の人生風景を一瞥する)”』の中で、1998年に1人の女子学生が自殺したことに触れ、「その後多くの人が彼女の死が自分と関係があると言い、男女関係まで疑われたが、どうして彼女を救えなかったのか悔やまれる」と書いて、同情する振りをして、高岩の死と無関係であることを強調した。

【10】しかし、当時、北京大学中文系で教え・学んだ人たちは、高岩が死去した後に、瀋陽が大学当局から行政処分を受け、突然北京を離れ、一時的に香港の某大学で教鞭を執り、その後改めて北京大学へ戻ったことを知っている。高岩の死から20年後に、瀋陽が60歳となって過去の栄光をひけらかす厚顔無恥な文章を書いたことで、李悠悠は堪忍袋の緒が切れた。母校である北京大学に瀋陽のような教授がいたことは恥辱であり、名門の南京大学にこのような“系(学部)”主任教授がいることは悲哀である。瀋陽は彼を恨んで死んだ高岩に謝罪せよ。瀋陽は高岩の年老いて病弱な両親に謝罪せよ。瀋陽は北京大学の1995年中文系の学友たちに謝罪せよ。瀋陽は北京大学の同窓生に謝罪せよ。瀋陽は過去に毒牙にかけた女子学生に謝罪せよ。

長江学者の称号取り消しに

 李悠悠の告発文を受けて、南京大学は4月7日付で公式ウェブサイトに『北京大学卒業生がネット上に発表した文章に関する南京大学”文学院(文学部)”の声明』を発表し、瀋陽に南京大学文学院の教授を辞職するよう要請すると同時に、瀋陽の教授としての職務を停止した旨を発表した。一方、人事登録は依然として南京大学にあるが、瀋陽は2017年2月に“上海師範大学”への移籍を南京大学へ申請して、7月から上海師範大学“人文学院(人文学部)”の教授になっていた。南京大学が上記の声明を発表すると、上海師範大学もこれに続いて、2017年7月に瀋陽との間で締結した教員契約を打ち切ると発表した。

 また、翌4月8日には、北京大学が瀋陽に関する特別会議を招集すると同時に、1998年に瀋陽を行政処分した際の関係書類を公開した。同書類には、瀋陽が高岩を抱擁して接吻したことは認めたけれども、その責任は高岩にあり、高岩が瀋陽に恋愛関係となることを求めたもので、瀋陽はガールフレンドで良いじゃないかと答えたが、その理由は高岩の精神状態に問題があったからと明記されていた。北京大学は李悠悠の告発を踏まえて、瀋陽の虚言が明らかになったとして、さらなる学内管理の強化を呼びかけた。要するに、「死人に口なし」で、瀋陽は虚言を弄して大学当局を騙して、処罰を軽い行政処分に止めさせたのだった。

 ところで、上述した北京航空航天大学の陳小武も瀋陽と同じく教育部認定の長江学者特別招聘教授であった。セクハラ行為が確認された後、教育部は陳小武(1月14日付)、瀋陽(4月7日付)に対してそれぞれ“長江学者”の称号を取り消すと同時にすでに給付した奨励金の返却を命じた。それにしても、国家がトップクラスの学者として認定した“長江学者”である2人がそろってセクハラでその職を失うとは。色欲は「七つの大罪」の一つだが、トップクラスの学者でさえも色欲を抑制するのは難事であることを示している。