広東省の週刊誌「南方週末」は3月23日付で、同誌記者の“王瑞鋒”が山東省の“冠県”から発信した、『“刺死辱母者(母を辱めた者を刺殺)”』と題する記事を掲載した。冠県は山東省西部の“聊城(りょうじょう)市”の管轄下にあり、河北省と河南省の2省と境を接する人口80万人の小都市である。刺殺事件は冠県の中心から直線で5kmの距離に位置する“冠県工業園(冠県工業団地)”内にある“山東源大工貿有限公司”(以下「源大工貿」)で発生したものだった。王瑞鋒記者が報じた記事の概要は以下の通り。

容赦のない借金取り立て

【1】源大工貿は、社長の“蘇銀霞”が2009年に設立した自動車用ブレーキパッドの生産を主体とする、資本金1億元(約16.5億円)の中小企業である。蘇銀霞は1970年生まれの46歳、1歳年下の夫“於西明”(失踪中)との間に1人息子の“於歓(おかん)”(1995年生まれの21歳)がいる。

【2】不況の影響を受けて、源大工貿の資金繰りが悪化したため、蘇銀霞は高利貸しの“呉学占”から運営資金を借入れた。呉学占は自身が経営する“冠県泰和房地産開発公司(冠県泰和不動産開発会社)”を表看板に、裏で高利貸しを本業としていた。蘇銀霞は呉学占から2014年7月と2015年11月の2度にわたり100万元(約1650万円)と35万元(約580万円)をそれぞれ月利10%の条件で借入れた。蘇銀霞は2016年4月までに184万元(約3000万円)を返済すると同時に、源大工貿の敷地内にある70万元(約1160万円)の価値を持つ建物の所有権を引き渡したが、残りの17万元(約280万円)はどうしても工面できなかった。これに対して、呉学占はならず者を十数人集めて“催債隊(貸金の返金催促チーム)”を組織し、彼らを源大工貿へ差し向けて、蘇銀霞に対する返金の催促と嫌がらせを繰り返していた。以下、催債隊のメンバーを呉学占の「手下」と呼ぶ。

【3】2016年4月13日、蘇銀霞が物を持ち出すためにすでに所有権を引き渡した建物に入ったところ、それを蘇銀霞の行動を監視していた呉学占に見つかった。呉学占は無理やり建物内の便所に蘇銀霞を引きずり込むと、蘇銀霞が見ている前で手下に大便をさせ、大便が湯気を立てている便器の中に蘇銀霞の頭を押し込んだ。そうして、呉学占は暴言を吐きながら蘇銀霞に残金の返済を迫った。この日の午後、蘇銀霞は4回にわたって110番(警察)と聊城市の“市長熱線(市長ホットライン)”に電話を入れて、窮状を訴えた。この結果、源大工貿へ複数の警官が派遣されたが、彼らは蘇銀霞から事情を聴取しただけで帰ろうとした。この時、蘇銀霞は警官と一緒にその場を離れようとして、呉学占に阻止されたが、警官はそれを見て見ぬ振りで立ち去った。

【4】翌14日、呉学占の貸金返済を要求する行動はますますエスカレートした。午前中に蘇銀霞と於歓の2人は呉学占の手下4~5人によって源大工貿の“財務室(財務部門の部屋)”に押し込められて監禁された。彼らはスマートフォンにポルノ映像を映し、音量を最大にして2人を愚弄した。その後、2人は監禁を解かれて財務室から出ることを許されて自由を得た。午後4時半頃、ナンバープレートが無い車3台が源大工貿の門前に乗り付け、若い女1人を含む10人が車から降りた。彼ら10人が門の外から大声で貸金の返済を要求すると、源大工貿のビルから出て来た蘇銀霞と於歓が門の内側から大声で応酬し、双方は門を挟んで相互に怒鳴り合いを続けたが、怒鳴り疲れて休戦に入り、蘇銀霞と於歓はビルの事務室へ引き上げた。

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