金無足赤、人無完人

 上記の人民日報の記事から1年が経過した2012年3月31日付の北京紙「北京日報」は、『“全票当選(満票当選)”は必ずしも全て民意ではない』と題する陝西省“安康市”人民代表大会常務委員会研究室主任の“趙明波”の評論を掲載した。その全文は以下の通り。

(1)現在頻繁にこのような現象を見聞きする。それは一部の地方では候補者と任命したい人の推薦・紹介の過程で、某氏の満票当選を全力で確保することが強調される現象である。とりわけ、一つ上の行政レベルがその下の行政レベルの選挙において指導幹部の身分を持つ候補者を推薦する場合はこれがひどくなり、甚だしきに至ってはそれが地方の幹部グループの思想統一、民主団結と調和の象徴と見なされる。

(2)各種のニュースメディアには、常に「〇〇〇が市長や副市長に満票で当選した」というニュースが報じられて、人々を喜ばせているのを見る。しかし、これと同時に「満票当選の短命市長」というニュースもあって、人々を嘆かせている。このような“全票情結(満票コンプレックス)”は人々に結託を促し、表決に投票する代表たちを誤った方向に誘導する可能性がある。なんと彼らにすぐにも“党委員会紀律検査部門”の“双規(取調べ)”を受ける人に投票して、後で驚かされることもある。これは我が国の選挙の中で相当程度存在することが実証されている弊害である。

(3)客観的に言って、現在、投票者たちは、往々にして組織が推薦する候補者の名前を知っているだけで、その人物を知らず、情報が欠如している状態であるのに、候補者を満票当選させるようとするのは無理がある。諺に「“金無足赤, 人無完人(金に純金はなく、人に完璧な人はいない)」とある。候補者や任命したい人が法定の過半数の賛成票を獲得する前提の下で、少数の反対票や棄権票があるのはおかしな事でも悪いことでもない。それはかえって、投票の対象となる候補者や任命したい人に改善が必要なことがあると説明するものであり、一種の警告としてより一層大衆に奉仕する必要があることを意味している。

(4)筆者はこれこそが民主政治が体現しなければならない重要な能力であり、要となる作用だと考える。以上述べたことをまとめると、選挙と任命を受ける人の票数の多寡、という問題において、我々は盲目的に満票を追求するべきでなく、理性的・弁証的に、得票が満票か満票でないか、多いか少ないかを、分析しなければならず、某氏が満票を獲得しているか否かが、いわゆる官界の体面と結びついていると判断することはできない。もしこの種の面子を必要とする、あるいは格好をつける現象がこのまま続くようなら、民意が嫌がることを強制するだけでなく、民主法制建設の中核となる精神にもとることになる。