さて、話は2月28日付で「新京報」が報じた馬泮艶の記事に戻る。馬泮艶は1988年3月10日に四川省巫山県<注1>の“双龍鎮金花村”に生まれた。父親を殺害した母親が精神分裂症で刑事責任を免れて失踪した後、馬泮珍と馬泮艶の姉妹は同じく金花村に住む伯父の“馬正松”に引き取られた。しかし、馬正松の家は彼の妻が精神病患者であるだけでなく、2人の老人を扶養していたから、ただでも貧しい生活は姉妹を引き取ったことでより困窮を深めた。当時、12歳の馬泮珍と9歳の馬泮艶は小学校を中退させられ、炊事、草刈り、柴刈り、豚の餌作りと、朝早くから夜遅くまでこき使われた。しかし、姉妹がどんなに働いても限度がある。そこで馬正松が生活防衛のために止むを得ず採った手段が姉妹を“童養媳”を求める人たちに売り渡すことだった。それ以降の概要は以下の通り。

<注1> 巫山県は1997年に重慶市が四川省から分かれて直轄市になった際に、重慶市に区分けされた。

売られ、襲われ、知らぬ間に「既婚」に

(1)1998年、13歳の馬泮珍は馬正松によりちびで貧乏な30歳の男の家に“童養媳”として2500元(約4万1000円)で売られた。2000年末、12歳となっていた馬泮艶が柴刈りから戻ると、貧相で体格が悪い陳学生という29歳の男が馬正松の家を訪れていた。その時、馬正松は陳学生に馬泮艶を16歳だと言って紹介した。これを聞いた馬泮艶は馬正松に「私は12歳よ」と強く反発したが、馬正松に「両親がいないので、お前は自分の年齢も分からないのか」と叱り付けられた。これは自分を陳学生に嫁がせようとしていると察知した馬泮艶は、金花村の幹部に「まだ嫁に行きたくない」と訴えたが、返って来たのは「父は死亡し、母は精神異常なのに、お前は伯父に一生面倒をかけるのか」という言葉だった。

(2)2000年12月、馬泮艶はトラックに乗せられて陳学生が住む同じ双龍鎮の“烏龍(うりゅう)村”へ連れて行かれた。この日、同行したのは馬正松ほか親戚一同で、陳学生の家では宴を張って馬家の一行をもてなし、両家は馬泮艶を陳家の“童養媳”とし、後に陳学生の妻とすることで合意し、陳家は馬正松に4000元(約6万6000円)を支払った。2001年の正月に馬泮艶は烏龍村の陳家へ迎え入れられた。1月24日の“春節(旧正月)”が過ぎると、陳学生は馬泮艶を帯同して福建省へ出稼ぎに出た。

(3)出稼ぎ先で陳学生と1室での同居を余儀なくされた馬泮艶は肉体関係を強要され、強く拒否したが強姦された。その日は馬泮艶の13歳の誕生日だった。その日、馬泮艶は陳学生から逃亡を図ったが、強引に連れ戻された。馬泮艶の逃亡を防ぐため、陳学生は出稼ぎを止め、彼女を連れて故郷の烏龍村へ戻った。2001年4月、叔母に伴われて公安局の“双龍鎮派出所”へ出向いた馬泮艶は、陳学生を強姦罪で告発すると同時に、“双龍鎮衛生院(診療所)”で検査を受けた。しかし、診療所の検査結果を示しても派出所の警察官は家庭内の事として真面目に取り合おうとせず、事件として立件することもなかった。