
2月28日付の北京紙「新京報」は、『重慶市巫山(ふざん)県の“童養媳”:12歳のあの年、私は4000元で売られた』と題する記事を報じた。“童養媳”とは、「息子の嫁にするために、幼時に買ったり、もらったり、拾ったりして育てる女の子」を意味する。主人公の女性は1988年3月生まれだから、彼女が12歳になったのは2000年3月であり、その頃に彼女は4000元(約6万6000円)で売られて“童養媳”にされたのだという。
監視8年、逃亡4回目で成功したが…
この“童養媳”の話が報じられたのは今回が初めてではない。北京紙「京華時報」は、2016年5月26日に『【“童養媳”エレジー】12歳で性的暴行を受け、14歳で娘を産んだ重慶市の女性、8年で逃亡4回』と題する記事で彼女の悲惨な人生を報じていた。その概要は以下の通り。
【1】重慶市の女性“馬泮艶(ばはんえん)”は今年28歳。彼女の父親は母親と結婚後、彼女を含めて3人の娘をもうけた。その後、母親は夫の長期間にわたる家庭内暴力に耐え兼ね、1997年に鍬(くわ)で夫を殺害した。母親が警察に連行された後、村の幹部たちは馬家三姉妹の扱いを協議し、長女の“馬泮珍(ばはんちん)”と次女の馬泮艶は“伯父(父親の兄)”に引き取られ、三女の“馬泮輝(ばはんき)”は“姑父(父親の姉妹の夫)”に引き取られた。一方、母親は精神分裂症を患っていたことが証明されて刑事責任を免れたが、ほどなくして家を出て行方知れずになった。
【2】伯父の家での生活が1年も続かないうちに、姉の馬泮珍は13歳で嫁に出された。2000年、12歳になった馬泮艶もまた29歳の“陳学生”という名の男に無理やり嫁がされた。馬泮艶は陳学生に性的暴行を受け、警察に通報したが、警察は家庭内事件として取り合ってもくれなかった。陳学生は馬泮艶を厳しく管理し、トイレに行くのさえも誰かに監視させて、彼女の逃亡を防ごうとする始末だった。2002年、馬泮艶はわずか14歳で女児を産んだ。
【3】2002年、妹の馬泮輝は12歳で“姑父”によって24歳の“羅品金”に嫁がされた。2005年、15歳の馬泮輝は男児を出産した。2007年、19歳の馬泮艶は男児を出産して二児の母親となった。2008年以前に馬泮艶は陳学生の所から3回逃亡を試みたが、いずれも成功しなかった。
【4】2008年、馬泮艶は妹の馬泮輝が広東省へ出稼ぎに行っていることを聞くと、姉の馬泮珍から1000元(約1万6500円)を借りて陳家を逃げ出し、南下して広東省へ向かった。馬泮艶は陳学生に男児を産んでいたので、陳家も敢えて馬泮艶を捜そうとはしなかった。馬泮艶は妹の馬泮輝一家と広東省で合流し、普通の“打工妹(若い女性の出稼ぎ労働者)”になったのだった。馬泮艶は、「結婚も出産も強制されたもので、自分が望んだものではなかったから、自分が産んだ子供に対して親としての感情がそれほどあるわけではない」と述べた。
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