馬俊仁は、国際陸連による“飛行薬物検査(ドーピング抜き打ち検査)”がある度に、チームを移動させて日数を稼ぎ、尿検査によるドーピングの発覚を免れていたのだった。上述したように王軍霞を初めとする多数のメンバーが離脱したことや金銭トラブルなどにより馬軍団は衰退した。馬俊仁は一時的にコーチの職を離れるが、その後再び復帰して、新たに挑んだ1997年の中国第8回全国運動会(上海)で馬軍団の“董艶梅”および“姜波”の2人が5000mで共に世界記録を樹立した。

 こうした功績により、1998年に馬俊仁は“遼寧省体育委員会”副主任に就任したが、2000年のシドニーオリンピックの開幕1か月前に国家体育委員会が実施したドーピング検査で馬軍団の出場候補選手6人に陽性反応が見つかり、オリンピック参加への道を閉ざされた。これは馬俊仁が2000年から新たに導入された血液検査(EPO)に対処できなかったことに起因すると思われる。2004年、馬俊仁は失意のうちにコーチ業からの引退を発表し、現在は“中国藏獒倶楽部(中国チベット犬クラブ)”の主席を務めていると言われる。

 なお、馬軍団から離脱してドーピングのわなから解き放たれた王軍霞は、1996年のアトランタオリンピックにおいて5000m金メダル(記録:14分59秒88)、10000m銀メダル(31分02秒58)を、厳しい訓練を経て培った自らの実力で獲得した。しかし、この記録は王軍霞が馬軍団在籍時に出した5000mの最高記録より9秒遅いし、10000mに至っては彼女が出した世界記録29分31秒78より1分30秒遅いものだったのである。

国際陸連が関心、その真偽は

 国際陸連は『馬家軍調査』の内容に関心を示し、上述した馬軍団メンバーによる告発書の真偽のほどを確認するよう“中国田径協会(中国陸上競技協会)”に協力を依頼したと言われる。馬軍団によるドーピング事件は1990年代の古い話だが、それが隠蔽された理由が中国の国家としての体面を守るためであったのであれば、徹底的に究明しなければならない。

 2015年6月28日、王軍霞の前夫である米国華人の“黄天文”が書いた『東方神鹿-私の妻 王軍霞』が中国で発売された。2015年1月に黄天文と離婚した王軍霞は、この本の出版に異議を唱えているが、その内容には馬俊仁による馬軍団メンバーに対する性的暴行や興奮剤の強制、さらには賞品の乗用車の横領などが事実として描かれている。

 一時は中国の国家的英雄、国家の模範と称えられた馬俊仁であったが、その実態は巧妙なドーピング戦術で中国国民のみならず、世界の人々を欺いた腹黒い人物だった可能性が高い。国際陸連がロシアのみならず、中国についても過去のドーピング問題を追及することを切望するものである。