さて、馬俊仁がコーチとして、遼寧省出身者だけの女子中長距離選手で編成された陸上競技チームを率いて、3種目の世界記録を樹立するのみならず、1993年の世界陸上競技選手権大会でメダルを6個も獲得したこと、さらには彼自身が選手としての陸上競技経験を持たないことに、違和感を覚えた人物がいた。それは“趙瑜(ちょうゆ)”というノンフィクション作家であった。1955年生まれの趙瑜は現在60歳、“国家一級作家”で、国家から特別手当を受給している。また、彼は中国ノンフィクション学会副会長であり、過去に多数の文学賞に輝いている。

『馬家軍調査』16年後にネットで脚光

 当時40歳の趙瑜は1995年の“春節(旧正月)”に居住する山西省“太原市”を出発して、馬軍団の本拠地がある遼寧省へ赴き、馬軍団に関する調査を開始した。遼寧省には50日間以上滞在し、瀋陽、鞍山、遼陽、大連などの各都市を駆け回って調査を行い、その後は北京市に1か月程滞在して調査を続けた。この調査旅行を通じて行った馬軍団の新旧メンバーに対する聞き取り調査を基礎に、当事者の出身および経歴、当事者との大量な談話記録、当事者の日記及び書状などの調査結果を加味して、書き上げたのが彼の著作『馬家軍調査』であった。

 実際のところ、『馬家軍調査』は1995年中には完成していたが、掲載を予定していた雑誌『中国作家』<注2>との交渉に2年以上を要し、最終的に『馬家軍調査』が掲載されたのは1998年の第2期『中国作家』であった。この当時、馬俊仁の政治的地位は非常に高かいものがあり、「全国の模範」とされていたことから、馬俊仁の本性を暴く内容は制約を受けて、第14章の「“薬魔重創馬家軍(薬の魔物が馬軍団に重大な打撃を与える)”」は完全に削除されたのだった。

<注2>『中国作家』は中国作家協会が発行する半月刊誌、1985年創刊。

 それから16年後の2014年、“陝西人民出版社”が趙瑜の全集を出版したいと話を持ち掛けたことで、その全集の中の1冊として、かつて削除されていた第14章を含めた完本の『馬家軍調査』が出版された。趙瑜自身は『馬家軍調査』を宣伝する積りはなかったが、ある読者が第14章の内容をネットの掲示板に書き込んだことから世間の注目を集めるようになり、折しも世界に衝撃を与えたロシアによる国家ぐるみのドーピング事件に関連する形で、『馬家軍調査』が新たに脚光を浴びることとなったのだった。