特に1993年の世界陸上競技選手権シュトゥットガルト大会では、金メダル3個、銀メダル2個、銅メダル1個の計6個のメダルを獲得し、馬軍団の名は世界に鳴り響いた。世界陸上競技選手権大会を例に挙げると、1983年の第1回ヘルシンキ大会以来、中国が陸上競技の徒競走でメダルを獲得したのは、1991年の第3回東京大会において女子10000mで銀メダルと銅メダルを獲得したのが最初だった。それが1993年の第4回シュトゥットガルト大会では金3、銀2、銅1と計6個のメダルを獲得したのだから、世界が馬軍団に驚愕したのは当然だった。なお、世界陸上競技選手権大会の徒競走で、その後に中国がメダルを獲得したのは、2003年の第9回サン・ドニ大会において女子10000mで獲得した銅メダルだった。

 1993年の世界陸上競技選手権大会で馬軍団が6個のメダルを獲得したことは中国の国威発揚に大きく貢献した。当時、中国政府の“国家体育委員会”および“遼寧省党委員会”は繰り返し「向馬家軍学習(馬軍団に学べ)」の呼びかけを行い、体育の振興を図った。

退役軍人の馬俊仁、選手経験なし

 それでは、馬軍団を率いるコーチの馬俊仁とはいかなる人物なのか。1944年に遼寧省の“遼陽市”で生まれた馬俊仁は、中等専門学校卒業後、18歳で人民解放軍3368部隊へ入隊し、軍人として7年間を過ごした。除隊後、27歳で“鞍山市五・七師範学校”の体育短期訓練班で学び、訓練班を終了後に鞍山市の第55、17、29、67の各中学で体育教師を務めた。この体育教師時代に自分には選手経験のない陸上競技の指導を始め、1982年には遼寧省陸上競技団のマラソンコーチに抜擢され、1986年に鞍山市アマチュア体育学校のコーチに就任した。それから2年後の1988年、馬俊仁は遼寧省陸上競技団女子中長距離チームのコーチに就任した。このチームが後に馬軍団と呼ばれることになるが、そのメンバーには、上述した王軍霞、曲雲霞、劉東などの選手たちが含まれていたのであった。

 選手としての陸上競技の経験を持たず、体育の短期訓練を受けただけの馬俊仁がどうして遼寧省陸上競技団のコーチに抜擢されたのかは、不可解の一語に尽きる。退役軍人であったことが大きな要因となっている可能性もあるが、恐らく馬俊仁は世渡りが上手く、たまたま1986年に自分の生徒が遼寧省の大会で優勝したのを好機と捉えて、実力者に媚びを売ると同時に、より以上に自分を高く売り込んだのだろう。彼自身がそれなりにコーチとしての指導方法を研究していたであろうことを認めないわけではないが。<注1>

<注1>馬俊仁に関する本には『世界記録続出の軌跡-陸上競技中国馬家軍(マーチャージン)』(馬俊仁・登学政・浜田安則(共著)、ベースボールマガジン社、1994年4月刊がある。