広東省“深圳市”は香港特別行政区に隣接する経済特区で、常住人口1080万人を擁する大都市である。深圳市は1970年代までは人口わずか30万人の農村に過ぎなかったが、1980年に中国で最初の経済特区に認定されたのを契機に、その地理的な優位性を活かして発展を続け、今や域内総生産(GRP)では上海市、北京市、広州市に次ぐ第4位に位置している。深圳市の中心部には高層ビルが立ち並んでいるが、今なお新しいビルが次々と建設されており、その発展ぶりはめざましいものがある。
2015年も押し迫った12月20日の午前11時40分頃、その深圳市の北西部に位置する“光明新区”の“鳳凰社区”<注1>内にある“紅坳(こうおう)村”の“恒泰裕工業園(工業団地)”で大規模な土砂崩れが発生した。崩れたのは恒泰裕工業団地に隣接する「紅坳残土仮置き場」に100m以上の高さに積み上げられた建築ごみや残土であった。恒泰裕工業団地の人々は突然響き渡った轟音と濛々と立ち上る土煙に驚嘆して、我先にと土煙とは反対の方向へ逃げたが、ものすごい速度で崩れ落ちる土砂に次々と飲み込まれた。また土砂は工業団地内の建物を次々となぎ倒したし、天然ガスのパイプラインの爆発を誘発した。
<注1>“社区”とは地域社会を指し、鳳凰社区は光明新区を構成する社区の一つ。
最大4000人で救助に当たったが…
「大規模土砂崩れ発生」の知らせを受けた深圳市政府は、消防局、公安局、武装警察支隊、衛生局、安全監督局、住宅・建設局、規劃・国土資源委員会などで構成される2000人からなる救助隊を現場へ派遣して救助作業を展開した。現場に到着した救助隊は、先ず手始めに行方不明者の家族や工業団地内の企業関係者を強制的に排除した後、事故現場周辺を完全に封鎖した。その後、最大4000人まで増強された救助隊は、深圳市内から急きょ調達したパワーショベルを主体とする300台以上の各種建設機械を駆使して生存者の救出活動を展開した。
現場の実地調査により33棟の建屋が倒壊あるいは損傷していること、また現場周辺での聞き取り調査により100人近い人々が行方不明であることが判明した。災害における人命救助は、災害発生から72時間を過ぎると生存率が急激に低下すると言われている。72時間が経過するまでに生存者を救出することは至上命題である。官製メディアは、救助隊が昼夜を問わず不眠不休で救助活動を展開していると報じたが、行方不明者の家族が深夜密かに封鎖区域内に忍び込んで確認したところでは、救助隊は夜10時から早朝4時までは救助作業を停止していた由で、救助隊全体が誠意ある形で救助活動を行っていたかどうかは疑問が残る。
土砂崩れによって覆われた面積は約38万m2であったが、これは東京ドームの面積(約4.7万m2)の8個分に相当する広さであり、なおかつその土砂の厚さは数mから十数mもあり、どこから手を付ければよいのか皆目見当がつかないのが実情だった。ある救助隊員は、土砂を10m掘ってようやく埋もれたビルの屋根に到達するほどで、救助活動は困難を極めていると語ったが、事故発生から14時間後の12月21日午前2時までに救出されたのはわずか7人(軽傷1人、負傷なし6人)に過ぎなかった。
その後も救助作業は継続され、事故発生から67時間後の23日午前6時40分に19歳の青年“田沢明”が最初の生存者として救助された。田沢明は工業団地内の精密金物会社の社員で、働き始めて2週間ほどで土砂崩れに遭遇したのだった。彼は極度に衰弱し、脱水症状、多発性損傷、全身のじん帯損傷および骨折などにより重傷ではあったが、奇跡的に命に別状はなかった。
市幹部が謝罪、元局長が自殺、関係者11人逮捕
一方、中国政府“国務院”は、『生産安全事故報告・調査処理条例』(国務院令第493号)の規定に基づき、“国家安全生産監督管理総局”を筆頭とする「光明新区12月20日土砂崩れ災害調査チーム」(以下「災害調査チーム」)を組織することに同意し、国家安全生産監督管理総局長の“楊煥寧”をチーム長として事故調査を速やかに行い、法に照らして厳粛に責任を追及するよう命じた。
12月25日、国営の「新華社通信社」は、中国政府“国務院”の災害調査チームが、この度の土砂崩れ災害は仮置き場に積み上げられた土砂が滑り落ちたもので、山体が崩れ落ちた自然地質災害に属するものではなく、生産安全事故であると認定したと報じた。この認定を受けて、25日夜に深圳市が開催した記者会見の席上、深圳市党委員会書記の“馬興瑞”は深圳市長の“許勤”および光明新区の主要幹部と共に土砂崩れ事故の発生について全社会に対して頭を垂れて謝罪した。
事故発生から6日以上経過した12月26日午後4時30分時点では、死者7人、行方不明者75人、負傷者16人であり、72時間以内に救出された生存者は上述の田沢明しかいなかった。なお、その前日の25日には行方不明とされていた17歳の少年がネットカフェで発見された。彼は事故発生直後から連絡が取れなくなり、行方不明者リストに加えられたが、そんなこととは知らない彼は5日間をネットカフェでゲームに興じていたのだった。
12月27日夜9時頃、深圳市“南山区”で飛び降り自殺があったが、自殺したのは光明新区“城市管理局(都市管理局)”の元局長の“徐遠安”であった。翌28日には、“深圳市公安局”が紅坳残土仮置き場を運営する“深圳市益相龍投資発展有限公司”(以下「益相龍投資」)の法人代表“龍華美”や副総経理の“于勝利”を含む幹部役員および土砂崩れ事故の関係者など11人を逮捕した。
益相龍投資は2003年8月に資本金1000万元(約2億円)で設立された企業で、その営業範囲は、道路清掃、ごみの清掃・輸送、土砂および建築ごみの受入処理だった。2013年7月23日に益相龍投資は紅坳残土仮置き場の運営権を取得し、土砂や建築ごみを受け入れるべく深圳市城市管理局に申請をおこなったが、書類が不備であったのにもかかわらず申請を承認したのが当時同管理局長の徐遠安であった。但し、その際に賄賂の授受があったか否かは分からない。また、その後の調査で、光明新区の委託を受けて紅坳残土仮置き場の監査を行っていた“建星項目管理顧問有限公司”が、事故発生の4日前に土砂崩れの危険性を理由に、益相龍投資に対して土砂・建築ごみの受け入れを停止するよう警告を発していたことが判明したが、益相龍投資はこれを無視して受け入れを続行していたのだった。
救助作業は「十分」だったか?
年が変わり2016年となり、すでに1週間が過ぎようとしているが、中国メディアは行方不明の75人に関する遺体発見のニュースを全く報じていない。事故現場に近い紅坳村の野菜栽培を行っていた農地約400ムー(約27万m2)は、事故発生2日後の12月22日に強制収容され、現場から掘り起こした土砂の収容場にされた。現場から土砂が全て搬出され、全ての遺体が発見されるまでには相当の日数がかかるものと思われる。
上述したように、国務院は事故発生から6日後に早々と土砂崩れは人災によるものと認定し、深圳市の共産党委員会ならびに市政府のトップが公式に謝罪した。この種の事故や災害では原因をうやむやにして済ませるのが従来の慣例であったことを考えると大きな進歩と言えるが、上述したように72時間以内に生存者の救出を図るべき救助隊が不眠不休を唱えながら、実際は深夜の作業を中断していたとすれば、これも一種の人災と言えるのではなかろうか。そこには、救助隊員にとって救助作業はあくまで命じられた任務に過ぎず、救助すべき行方不明者は赤の他人であるという意識が垣間見えるが、これは勘ぐり過ぎだろうか。
さて、ドイツの中国語ラジオ局「“徳国之声(ドイツの声)”」のウエブサイトは12月23日付で「2015年驚愕の中国四大災難事件」と題する記事を掲載した。過去1年間(2015年)に中国では重大な安全に関わる事故が数多く発生して多数の死傷者を出したが、記事はその中から特に社会世論の注目を集めた驚愕すべき大型の事故を4つ選定したものだった。その概要は以下の通り。
「2015年驚愕の中国四大災難事件」
【その1】2014年12月31日~2015年1月1日:大みそかの夜の悲劇
2014年大みそかの夜、上海市の中心を流れる“黄浦江”の沿岸に位置する“外灘(がいたん)”で挙行された毎年恒例の年越し行事で、打ち上げ花火を見ようと集まった群衆に大規模な将棋倒し事故が発生し、これが2015年に中国で起こった最初の重大な死傷事件となった。目撃者によれば、押し合いへし合いする人の流れが展望台に上り下りする石段で突然交錯したことで、石段を上ろうとする人々が下ろうとする人々に押し倒される形で将棋倒しが発生したという。
この「上海・大みそかの夜の将棋倒し事件」と名付けられた事故による死亡者は36人に上った。上海市政府は後に大型行事に対する準備不足と現場の管理体制の不備および事故発生後の対処が適切でなかったことを認めた。また、事故発生現場となった“黄浦区”の指導幹部が事件当夜に現場付近のレストランで公金による飲食を行っていたとして処罰された。<注2>
<注2>この事件の詳細は、2015年1月9日付の本リポート「大みそかの惨事より指導者の祝辞を優先」参照。
【その2】6月1日:長江クルーズ船「“東方之星”」沈没事故
6月1日の夜、湖北省“監利県”内の長江を航行していたクルーズ船「東方之星」が悪天候の中を無謀航行した末に転覆して沈没した。この事故は1949年10月1日に中華人民共和国が成立して以来、国内で発生した最も重大な内陸河川運輸船の転覆事故であった。東方之星に乗船していた乗客の多くは老人であり、転覆が突然であったことに加えて天候が劣悪であったことから救助作業は困難を極めた。この事故による死亡者は442人に上り、全船で救助されたのはわずか12人に過ぎなかった。<注3>
<注3>この事故の詳細は、2015年6月12日付の本リポート「老人8割、無謀航行、長江転覆事故の内幕」参照。
【その3】8月12日:天津驚愕の夜
8月12日の夜11時30分頃、天津市“濱海新区”の港にある“瑞海国際物流中心”が運営する化学工業製品倉庫のコンテナヤードで2度にわたる激しい爆発が発生した。関係当局の発表によれば、爆発の威力はTNT火薬24トンに相当するすさまじいものだった。天津市政府の発表によれば、この事故による死者は173人に上り、その半数以上は現場で消火作業に当たっていた消防隊員であった。但し、爆発の規模から考えて、173人という死者数は少な過ぎで、実際の死者数はもっと多いはずと庶民は疑問を呈している。
事故発生後、各界の世論は爆発した倉庫が可燃性・可爆性の化学工業製品を貯蔵する資格を持っていたか否か、また、管理上の手抜きがなかったかなどの疑問を提起した。さらに、倉庫内に大量に保管されていた有毒物質である「シアン化ナトリウム」が流出したことによる環境への影響は周辺住民の不安を駆り立てた。<注4>
<注4>天津大規模爆発事故の詳細は、2015年8月28日付の本リポート「人災だった天津爆発事故」参照。
【その4】12月20日:広東省“深圳市”で発生した大規模な土砂崩れ事故
事故の詳細は上述の通りである。
人災多発、抑えられるのか
上記4つの大型事故に共通するのは人災である。
上海市の将棋倒しは、上海市が大みそかの夜に行う打ち上げ花火の場所が変更になったことを市民に対して事前に周知徹底していれば、将棋倒しは起こらなかっただろう。長江クルーズ船の転覆は、船長が嵐の夜に無謀航行をしなければクルーズ船は転覆しなかっただろう。天津の爆発は、倉庫会社が規則通りに可燃性・可爆性の化学工業製品を貯蔵し、地元の消防局に消火の際の注意事項を届け出ていれば、多数の消防隊員の死は免れたはずである。深圳市の土砂崩れは、城市管理局長が書類不備の土砂・建築ごみ仮置き場申請を承認しなければ発生することはなかったし、益相龍投資が監査会社の受け入れ停止勧告に従っていれば、土砂崩れは未然に防げたかもしれない。
人災は中国だけの専売特許ではないが、大規模な人災が度重なる頻度は中国が著しく多いように思われる。その根底にあるのは、業務に対する熱意と誠意のなさ、賄賂に対する免疫性、違法を承知の金儲け、慢心などが想起できる。いずれにせよ、人災によって被害を受けるのは無辜の庶民であり、多数発生する人災をいかに削減するかは中国の最重要課題であると言える。2016年には大規模な人災の発生件数が減少することを祈るものである。
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