こうした出稼ぎ者たちが暮らしていた“雑院(雑居住宅)”も順次解体されたことから、職場も住居も無くした出稼ぎ者たちは次々と模式口大街から去って行ったという。上述したように模式口村の流動人口は1800戸余りであったということだから、恐らく3000~4000人の出稼ぎ労働者とその家族が模式口大街を離れたものと思われる。大野君が写真と動画を送ってくれた、あの奇妙な葬式を行っていた家族もすでに模式口大街にはいないという。そして、封印された店舗は京西古道の趣を加えた店舗に改装され、新たな経営者たちによる営業開始の日を待っている状態にあるという。

“低端人口”駆逐を継続

 石景山区政府が模式口大街の修繕改造計画を進めるに当たり念頭に置いたのは、観光客を誘致して歳入を増やすことを目的とした観光開発であり、その手本となったのは文頭に述べた北京市東城区の南鑼鼓巷であったと思われる。南鑼鼓巷と同様にインフラを整備し、中国国民の誰もが知る老舎の『駱駝祥子』と京西古道のイメージを活かして商店の外装を一新して、従来からある文化財の価値を高めて集客を図る。これが究極の目的と考えられる。しかし、これはあくまで筆者の意見だが、華美な外装の店舗や地元と関係ない商品を扱う店舗が連なる商店街は、模式口大街が従来持っていた中国的特色を払拭し、望むべき京西古道のイメージを損なうことになるのではないかと懸念される。その悪しき参考例が南鑼鼓巷である。観光客が増大すれば、地元民の生活環境も大きく影響を受け、その生活自体も変化を余儀なくされるだろう。

 北京市政府は外地から出稼ぎに来た人々を“低端人口(低級人口)”と呼び、彼らを北京市から駆逐する動きを依然として継続している。上述した模式口大街の修繕改造計画も低級人口の駆逐が目的の一つであり、都市改造を名目とした低級人口駆逐の動きは北京市全域で今なお進められている。低級⼈⼝駆逐の動きは、北京市に隣接する河北省や遠くは広東省まで波及し、全国的なものとなりつつある。こうした動きを背景に2018年の中国はどうなるのか。筆者は引き続き庶民生活に立脚した目線で本リポートを続けて行く所存です。大野君には模式口大街の変貌振りを引き続き報告してくれるように依頼した次第です。