見えないものを示す言葉は外来語

 引用箇所で見えないものとしてビジネスモデル、コンセプト、ブランドを挙げていたが記事全体ではテクノロジー、知的財産権、サービスを含む製品のアーキテクチャも見えないものとして紹介した。

 見えないものが厄介なのはそれらを表す言葉が外来語になることだ。筆者は文章を書く際、外来語の濫用を避けているが本稿と引用した過去記事はそうなっていない。ここまでに出てきた外来語を並べてみよう。ソフトウエア、モデル、アーキテクチャ、ポートフォリオ、マネジメント、イノベーション、デザイン、ビジネスモデル、コンセプト、ブランド。いずれも眼に見えない。

 テクノロジーは物理の世界であればなんとか見えるが、コンピュータになると箱のようなハードウエアは見えるものの、その中で情報を処理する仕組みはまるで見えない。プロジェクトの場合、関わっている人の顔は見えるが、プロジェクトで取り組む範囲(スコープ)や関係者の間のコミュニケーションになると見えなくなってくる。

 見えない何かを示す言葉が外来語にならざるを得ないのは、日本語にそもそも語彙が無いからだ。荷風の言葉を借りれば「眼に見えない空想や迷信から騒出した事は一度もない」ので空想や迷信を表現する必要が無かった。コンセプトやブランドの重要性を説かれても腹に落ちないのは現実離れした「空想や迷信」の話だという気持ちがどこかにあるからではないだろうか。

 「いや、それぞれ訳語があるし、ほぼ同じ意味を示す漢語も昔から使われていた」と思う読者がおられるかもしれない。だが、訳語や漢語があったとしても多くの人が同じ意味に受け取り、使いこなせる言葉にはなっていないはずだ。

手法も能力も眼に見えない

 列挙した外来語が表す「見えないもの」を取り扱う手法は色々あるが、それらの多くは輸入物のメソドロジーやフレームワークなので、またしても外来語になり、よく見えない。手段として取り入れた手法がいつのまにか目的と化し、本来の目的がどこに行ってしまった経験をされた方は多いはずだ。よく見えないから手法の詳細に目を凝らしているうちに手法のことばかり考えるようになる。

 こうなるのは「要するに日本人には頭が無い」からだと言ってしまうと話が終わるので、頭を十分に使っていないからだとしておく。能力開発をうたった書籍は書店にずらりと並んでいる。コンピテンシーやコンセプチュアルスキルが大事と言われているが、やはり外来語である。

 荷風は冒頭で紹介した問答に続けて、登場人物に「其れだから要するに日本人は幸福なユウトピアの民なんですよ。自覺させると云ふ事も悪くはないですがね、私は一方から考へて、平和な幸福な堯舜のやうな人民に文明々々と怒鳴つて、自由だの権利だのを教へて煩悶の種を造らせるのはどうかと思ひます」と語らせた。

 そうかもしれないが「自由だの権利だのを」を知り、「煩悶の種」を抱えて100年も経ってしまうと「幸福なユウトピアの民」にはもう戻れない。空想を広げて悩み、情熱をかき立て、見えないものに挑戦するしかない。本欄の題名『経営の情識』は「経営に役立つ情報化の常識」というつもりで付けたものだが拡大解釈し、今後は「見えないものに挑む」工夫や挑戦者を紹介していきたい。