シンギュラリティは「人が犬を噛む話」

 尊敬する2人の経営者に会い、以上の理屈を力説し、甘利氏の本と「非生物である機械は意識を持てない」という同様の主張でシンギュラリティを否定している専門家の本をまとめて渡したらどうなるか。

 例えば前出の西垣氏は「真の汎用人工知能には意味解釈の機能がもとめられる」が意味解釈とは「相手の心の内容」を「意図や文化的価値観をもとに推定する」ことであり、それは「人間社会における多様な言語的なコミュニケーションの繰り返しを通じて動的に形成されていく」からAIには不可能と説明する。

 AI研究の若手リーダーである松尾豊東京大学大学院准教授は『人工知能は人間を超えるか』(角川EPUB選書)の中で「人間=知能+生命」とし、「知能をつくることができたとしても生命をつくることは非常に難しい」、「自らを維持し、複製できるような生命ができて初めて、自らを保存したいという欲求、自らの複製を増やしたいという欲求が出てくる」と述べ、「生命の話を抜きにして、人工知能が勝手に意思を持ち始めるかもと危惧するのは滑稽」と断じている。

 それでも2人の経営者は翻意しないような気がする。2人以外のシンギュラリティ信奉者の方も同じだろう。その理由を次に書く。

 まず、長年記者を務めてきた筆者にとって書きにくいことだが報道の問題がある。昨年末以来、新聞や雑誌、Webでシンギュラリティという言葉を見かけると読むようにしているが両論併記の記事が多い。永久機関だと切って捨てた報道はまず見かけない。

 著名なAI研究者が「強いAIは作れない」といった主旨の発言をして、それを報じているにもかかわらず、記事の後半で「シンギュラリティが来るという説もある」などと追記される。

 犬が人を噛んでもニュースにならないが人が犬を噛めばニュースになる。AIが人を超えるなら面白いと思って、しかるべき研究者に取材してみるが一笑に付されてしまう。それでは記事にならないから「人が犬を噛む時代が来ると主張している人もいる」と併記することになる。

 2人の経営者が日本の報道をどこまで信用しているのか、恐ろしくて聞いたことはないが「たびたび報じられている以上、シンギュラリティが来る可能性はある」と思っているかもしれない。

 英語が堪能な2人に英The Economistの見解を紹介してはどうか。2012年に出版された『2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する』(文藝春秋)の中で同誌はカーツワイル氏の主張を紹介しつつ、その後で「技術はめったに人間の思い描いたとおりに進化しない」と述べ、「情報に関して人類が打ち立てた武勲に有頂天になる前に、人類の情報処理および記憶技術は自然そのものとは比べものにならないほどお粗末だということは憶えておかなければならない」と締めくくっている。

 5年後の2017年に出版された『2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する』(文藝春秋)において同誌は英オクスフォード大学のルチアーノ・フロリディ教授(情報哲学および情報倫理学)に寄稿を依頼した。フロリディ教授は「コンピュータの計算に限界があることを示す有名な研究結果はやまほどある」とし、たとえ量子コンピュータを持ってきたとしても「何が計算の対象になりうるかという同じ限界に制約される」から「意識や知性や意図を持った存在が生まれてくることは今後もありえない」と述べている。

「人間に限界なし」と信じる人達

 筆者はThe Economistに賛成だが、同誌の見方を転記していて、これでも2人の経営者は考えを変えないと思えてきた。シンギュラリティを信じる、根本的な理由があるからだ。

 カーツワイル氏の『ポスト・ヒューマン誕生』を読んで感じるのは強烈なヒューマニズムである。カーツワイル氏は人間の知能と理性に強く期待している。

 同書の中でカーツワイル氏はシンギュラリティを批判する識者に対し、次のように述べていた。

 「きみとわたしの間では、人間の本質の捉え方が根本的に違っているんだね。わたしにとって、人間であるということは、限界があるということではない(中略)限界を超えることこそ、人間の本質なんだ」

 機械は機械、人間にはなれない、とカーツワイル氏にどれほど指摘しても氏の信念は揺るがない。人間に限界はない、だから人間を超える機械を作り出せる、そしてその機械と合体することで人間は限界を超え続ける、と答えるだろう。

 筆者はカーツワイル氏と「人間の本質の捉え方が根本的に違っている」。人間には限界がある。前述の死や利己心である。超えられない限界があっても超えようと努力するから、創造もあり、失敗もする。それが人間の本質だと思う。

 なにやら偉そうに書いてしまったが上記も先達の受け売りである。また虎の威を借りると、かのピーター・ドラッカー氏は理性が万能だとする人間観を強く批判していた。

 困ったことになった。近々、2人の経営者と対決、いや対面しようと思っているのだが、にこやかに、次のように言われたらどうしたものか。

 「谷島さん、色々あっても人間は進歩してきたじゃないですか。これからも限界を超えていきますよ」

 「それは間違っています」と言わないといけないが、果たして言えるだろうか。