今さんの「遊戯三昧」の書を拝みに来るといい

ミツハシ:相談者は「虚無を感じることは、私の行いが、間違っているからなのでしょうか」と訊いていますが、これは考えすぎでしょうね。

シマジ:遊戯三昧を誰よりも全うしたのが一休さんこと一休宗純だよ。一休さんは遊びまくった。女はもちろん、男色も愉しみ、肉を食い、大酒を飲んだ。晩年は、美しい盲目の少女と同棲してそれこそおまんこ三昧。死の床にあっても、立ち上がって「死にとうない」と叫び、そして死んだ。人生の終末まで生きることに執着したんだよ。

 僧侶の行いとしては「間違っている」ことだらけかもしれないが、なんとも見事な生き方じゃないか。一休さんは懊悩しつつ風狂の限りをつくしたんだと思うね。この生への前向きなエネルギーに、今さんは遊戯三昧の本質を見ていた。相談者も心の赴くままに、酒を、運動を、本を、おしゃれを、そして男を愉しめばいい。それと虚無感とは無関係だよ。個別の行動が虚無を呼び込むのではなく、人生そのものにもともと虚無が貼りついているんだからね。 そうだ、相談者は今さんの「遊戯三昧」の書を拝みに来るといい。

ミツハシ:今は新宿の伊勢丹メンズ館のサロン・ド・シマジに掲げられています。

シマジ:あの書には今さんの気が入っているから、じっと見つめて目に焼き付けるといい。昔の中国では、病人の体の患部に、偉い書家の書を当てたそうだ。きっと今さんの立派な「遊戯三昧」の文字が相談者の心をほぐしてくれるはずだ。写真にとって携帯電話の待ち受け画面にしても毎朝見るのもいいだろう。

 それから、上野寛永寺の今さんの墓を訪ねて、「私は遊戯三昧の実践者です。でも時おり、どうしようもない虚無感に襲われます。この虚無と遊ぶ境地を教えてください」と声に出して語りかけなさい。それだけで、次に虚無に襲われたときに、違う気持ちで対処できるはずだ。

 そんな経験をあと何度かしたら、虚無感ともすっかり友達になれるだろう。そのときにはもう人生の酸いも甘いも噛み分けた、何事にも動じないふてぶてしくてチャーミングな中年女になっているかもしれないね。

本記事は、 nikkei BPnet から転載したものです