シマジさんはよほどの幸せ者か、あるいは……

ミツハシ:相談者も訊いていますが、シマジさんもそうした虚無感を覚えることがあるのですか。

シマジ:俺はいま、虚無に襲われている暇が全くないんだ。書かなければいけない原稿の量がさらに増えて、締め切りに追いまくられている。俺の人生とは一体何なんだなんてことをのんびり考えてなどいられない。

ミツハシ:それこそ、そんなに原稿に追われていて虚しくなりませんか。

シマジ:幸い好き勝手に面白いことを書かせてもらっているから、執筆が愉しくてね。書き始めて10分もするとゾーンに入り、ニヤニヤしながら俺は天才じゃないかと思いながら書いている。虚しいなんてちっとも思わないね。

ミツハシ:ということは、シマジさんはよほどの幸せ者か、あるいは……。

シマジ:俺はどちらでもいいぞ。馬鹿というのが世間の常識によって自らの思考と行動にブレーキをかけない者のことを言うのだとしたら、大馬鹿野郎で大いに結構だ。今東光大僧正のいう「遊戯三昧」も、常識のリミッターを外して没入することだから、いわば馬鹿になることだよ。

ミツハシ:好きなことに熱中していれば虚無感など感じない?

シマジ:大好きな女をはじめて抱くときに、虚しいなんて感じないだろう。女を抱きながら虚しいと感じたとしたら、それはもう熱中できなくなっている、つまりギリマンということだよ。

 まあもちろん、長い人生の中で四六時中何かに熱中しているというのは難しい。そんな空白の時間に虚無感が襲ってくるのは致し方ない。だったら、そういうときは虚無と遊べばいいんだよ。自分の心の中に広がり始めた虚無をじっくりと観察し、味わうんだ。「この虚しさは、半年前のとはちょっと違っている感じがするわ」なんて感じに、客観視してみるといい。この虚しさに一番合う音楽は何だろうと考え、日がな一日、それだけを聴いてもいいだろう。音楽さえ聴く気もしなければ、好きなアロマを香らせ、ずっと寝そべっていてもいい。無理に本を読んだり、お酒で紛らわせたりする必要もない。「虚無感さま、ようこそいらっしゃいました。しばらくゆっくりしていってください」と話しかけ、のんびりと時間を過ごせばいい。