たとえようのない虚無感に襲われます

Q  遊戯三昧を精進すべく、酒を飲み、運動をし、本を読み、おしゃれをし、毎日が充実するよう努力しておりますが、突然たとえようもない虚無に襲われることがあります。一度、虚無に取り付かれると、酒を飲んでも、本を読んでも、むなしさから逃れられず、自分が取るに足らない退屈な人間に思えて、自己嫌悪に陥ります。数日すればまた活力が沸いてくるので、うつではないと思うのですが、この虚無を感じない方法はないのでしょうか、虚無を感じることは、私の行いが、間違っているからなのでしょうか。島地さんは、虚無を感じることはありますか。

(42歳・女性)

シマジ:虚無感か。それは相談者がまともな証拠だ。人生に意味はあるのか。なんのために自分は存在するのか。私は価値のある人間か……。それを考えないで生きていける人間はよほどの幸せ者か、馬鹿のどちらかだね。みんなその答えを探しながら生きているんだ。仕事に答えを求める者もいれば、家族や愛する人が生きる目的だという者もいるだろう。もちろん宗教に答えを求めてもいい。だが、何らかの答えを見つけたと思っても、また、そこから一段と深い悩みが始まる。

 ずっと以前に、モームの自伝的名作『人間の絆』の話をしたと思うが、主人公のフィリップは、人生に意味などないと気づいて救われるんだ。

その虚無こそが出発点だ

ミツハシ:賢者が王様に語った言葉ですね。

シマジ:そう。東方の王様は人生とは何かを知ろうと願い、ある賢者にその答えとなる書を注文する。だが、多忙な王は500巻に及ぶ書を読む時間がないため賢者にその要約を命じた。それが完成したのは20年後。賢者は人生とは何かを50冊に要約した。だが、既に高齢の王には、その50冊を読む時間もなさそうだった。さらに要約を命じられた賢者はたった1冊にまとめた本を20年後に持参した。だが、死の床にあった王はもうその1冊さえ読めない。そこで賢者は王に人生の意義をたった一行にして伝えた。その言葉はこうだ。

 「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生に意味などなく、人は生きることで何らかの目的を達成することはない。生まれようと生まれまいと大した意味はないし、生きようが死を迎えようが意味はない」

 この逸話を思い出したフィリップは、人生に意味や目的などないからこそ、自分の人生を歩めばよいと考えられるようになる。たとえようもない虚無に襲われるという相談者に伝えたいのは、その虚無こそが出発点だということだ。人生は虚しい。そんなの当り前だ。じゃあその虚しさをどうするかということだよ。