他人の不幸を知ることで幸せを感じます

Q 他人の不幸を知ることでしか幸せを感じられません。リストラされました。でも家のローン、子供の教育費を抱えてリストラされた方に比べると幸せと思います。今は都内で働いています。かごの中のハムスターのような生活に苛立ちますが毎日のように人身事故のアナウンスを聞くと生きているだけで十分幸せなのかなと思います。英語・武道・本・酒・デリヘル嬢と打ち込めるものはいくつかあります。職場ではお前は面白いやつだといつも言われています。しかし私自身は笑うことが少ないです。不満足こそ我が満足という言葉まで浮かんできました。不幸を感じていないということは幸せだということでしょうか。

(36歳・男性)

シマジ:昔から「他人の不幸は蜜の味」というくらいだからね。他人の不幸を知ることで自分の幸せを感じる相談者は、きわめて普通の人間だ。心が捻じ曲がっているわけではなく、ほとんどの人と同じ常識的で平均的なあたりまえの人間ということだよ。

ミツハシ:そのうえ、とても正直な人なんでしょうね。普通なら、他人の不幸を喜ぶ心根なんていうものは認めたくないものですが、こうして客観的な文章にして相談してくるわけですから。

心底からは幸せを実感していないということだよ

シマジ:そうだろうな。だが、他人の不幸を見聞きすることで、相対的な幸せを感じる生き方というのは、本当の意味で幸福な人生だとは俺には思えない。相談文の最後に「不幸を感じていないということは幸せだということでしょうか」と書いているが、これがいみじくも相談者の気持ちを表していると思うね。つまり、相談者は心底からは幸せを実感していないということだよ。

ミツハシ:ファンクショナルMRIを使って他人の不幸を喜ぶ脳内メカニズムを調べた研究では、妬みの感情が強い人ほど、妬みの対象に不幸が起きると、報酬系の一部である線条体と呼ばれる部位が強く反応するそうです。また、妬みを感じる際には、肉体的な痛みを感じる前部帯状回と呼ばれる部位の活動が活発になるそうです。

 してみると、妬みは肉体的な痛みと同種なのかもしれませんね。そして、その痛みが解消されるような他人の不幸は、脳の中では快感物質の放出につながっているのかもしれません。「人身事故のアナウンスを聞くと生きているだけで十分幸せなのかなと思います」という相談文は、それだけ読むと不謹慎にも聞こえますが、実は人間の脳の中で普通に起きている情動反応だというべきなのでしょう。

シマジ:なるほど。リストラされ、生活に苛立ちを感じていると言う相談者の心の大きな部分を占めているのは嫉妬ということなのか。相談者はそれに薄々感づいているんだろうな。だから、「私自身は笑うことが少ないです」と言い、他人の不幸からしか幸せを感じられない自分の心の動きに不健全なものを嗅ぎ取っているんだろう。